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クラブチームにできる「地方創生の夢」

――V・ファーレン長崎の交流人口、見通しはいかがですか?

高田 おかげさまでビジターは増えているんです。あるチームは「今度3000人連れて行く」、あるチームは「1万人でいいか?」「飛行機をチャーターする」なんて言ってくださったこともあります。そうなってくると、長崎県民もお迎えする体制が必要になってくる。それは長崎に限らず、新たな地方創生の芽が育っていく土壌のようにも思います。全国にある地方のクラブチームにできる「地方創生」には、そんな壮大な夢が広がっているんです。

 

――サッカーは子どもの育成にも関わる事業でもありますね。

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高田 V・ファーレン長崎には、U-18、U-15、U-12のアカデミーの子どもたちがいますが、ここでも私はマインド教育が重要だと思っているんです。子どもの成長は挨拶から始まる人間力を磨くところから。ファンへの思いやり、言葉や笑顔の出し方、応え方、それがきちんとできないと、いくら技術やパワーがあっても一流にはなれません。

今年70歳。もう、走りっぱなしですよ

――そんな高田さんの大事にしている「マインド」とはどんなものなのでしょう?

高田 一日一生。僕は41歳までカメラ屋さんをやっていて、そのあと通販事業の道を歩んできました。今年70歳になります。もう、走りっぱなしですよ(笑)。でもね、人間、今という瞬間をどれだけ精一杯生きるかなんですよ。本気で。それは若い時には気がつかない。それでいいんです。若い時は、先のことを考えなくてもいいんです。だから、目の前の与えられた仕事に集中すればいい。そうしたらその仕事が絶対に面白くなりますよ。そして、今日を、明日を変えられる人に成長できる。逆に「大変だ、大変だ」って先のことばかり考えて、目の前のものに取り組めない人は自分の明日も変えられない。サッカーもね、一戦一生。

「サッカーもね、一戦一生」

――ご出身は平戸。「ジャパネットたかた」を創業されたのが佐世保。そしてV・ファーレン長崎の本拠地は諫早。長崎という地元にとことん密着した仕事人生ですね。

高田 そうですね。現在はクラブチームの経営を通して、長崎県21市町をホームタウンにした地域密着の仕事の集大成をしているつもりです。広島の人がこんなことをおっしゃっていたんです。「広島カープはチームじゃなくて広島の文化なんです」と。V・ファーレンの理想はこれですね。長崎の文化になること。それまで僕もまだまだ走り続けなきゃなりません。サッカーと同じ。走り続けるしか道はないんです。

 

写真=松井丈也 

たかた・あきら/1948年長崎県平戸市生まれ。大阪経済大学卒業後、機械製造メーカーへ就職し、通訳として海外駐在を経験。実家のカメラ店の支店経営を経て、1986年に独立し「株式会社たかた」を設立。1999年に「株式会社ジャパネットたかた」に社名変更。1990年のラジオショッピングを機にテレビ、紙媒体、インターネットなど通販事業を展開し、2015年、66歳で社長を退任。2017年、V・ファーレン長崎社長に就任。