ダイエーが「覇権」をとれたワケ

 ダイエーの勝因は、1970~80年代の成長する日本経済を背景として、上昇する地価をベースに不動産含み益を活用した、積極的な資金調達による急速な店舗網の拡大であった。また、大手小売業には回転差資金(現金販売なのに支払いは掛け払いなので、大型店を出店して、在庫を増やすほど資金余剰が生まれる)が集まった。

 このように、ダイエーは出店すればするほどカネが集まる「錬金術」システムを生み出した。その資金で大都市のみならず、当時、優良立地だった地方中小都市の駅前、中心市街地にも大量に出店することに成功した。他の追随を許さぬ圧倒的なトップ企業として、その後20年以上も小売業界に君臨したのである。ただ、この地方中心市街地を押さえた店舗網が、ダイエーが衰退していく主要因となるのだが……。

小金井店の過去写真(ダイエー情報 BOXより)

 小売業最大手となったダイエーは、バブル期にさらに事業の多角化も進めた。先ほどのダイエーホークス、コンビニのローソン、外食のウェンディーズ、ビッグボーイ、ヴィクトリアステーション、ドムドムハンバーガー。さらに百貨店のプランタン銀座や、ホテル、金融、不動産事業も手広く展開、ハワイのアラモアナショッピングセンターを保有していたこともあった。とにかくダイエーのバランスシートは大きく膨らんでいたのである。

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 バブルが崩壊し、ほどなくして金融危機時代(1990年代後半~2000年代)に突入すると、ダイエーの錬金術は全く逆回転し始める。不動産、有価証券など保有資産の時価評価が急速に低下し、金融機関は債務の返済を迫るようになった。ダイエーは資金繰りが行き詰まり、資産や事業の整理、売却を余儀なくされたのである。

 本業以外の事業・資産を処分しても、かつての価値はなく、それだけではとても返済できないので、事業収益の改善による償還計画が求められることになった。だが、ダイエーは「本業で収益を上げられない」という事実にその時になって気付くのである(図表2)。

図表(2)

 総合スーパーとして、いち早く全国制覇したダイエーの店舗は前述の通り、全国各地の駅前や中心市街地といった、その当時の「一等地」に配置されていた。しかし、ダイエーが危機に陥った2000年代には、その一等地がはモータリゼーションによって、商業立地としての価値を失っていた。

 既にクルマが普及した地方では、駐車場のない駅前、中心市街地はもはや消費者にとって行きにくい場所になっており、代わって幹線道路沿い(ロードサイド)の大型商業施設が新たな商業立地となっていたのである。


 続く記事では、イオンと差がついてしまった経緯に加えて、ダイエーの本格的な凋落を呼び込んだ「業界の変化」についてまとめています。あわせてぜひお読みください。

次の記事に続く だからダイエーは「イオンの子分」になってしまった…わずか20年で“小売りの雄”が消滅に追い込まれた、スーパー業界の『見過ごせない変化』

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