高校そっちのけでバイトの日々→「ジュディマリ」加入のきっかけは……
――退学した後は、京都に戻って。
TAKUYA 通っていた学校は進学校だったから、高校受験は余裕でしたね。一応親のために高校に進学したんですけど、途中からほとんど登校しませんでした。プロになるために早く東京に出たかった。親の同意がないと家を借りたりもできないし、一人暮らしでアルバイトが可能になる18歳での上京へ向けてお金を貯めようって考えました。
――具体的にはどんなバイトをされていましたか。
TAKUYA まずは新聞配達で、学校が終わったら夕刊を配っていました。高2の頃にバブルが直撃して、実家の喫茶店が店舗数を増やして深夜営業もするようになったので、実家の喫茶店でアルバイトをしました。
料理も上手で手際も良かったから、即戦力でしたよ。最初からそれが狙いだったけど、僕が有能なアルバイトすぎて親が「学校に行け」って言わなくなった(笑)。気づけばフルタイムで働いて、高校に籍はまだ残ってたけど、全く行かなくなりました。
――音楽活動も並行していたんですよね。
TAKUYA 15歳の時に「激しい動きでポップな音楽をやって、トークもボケもできるギタリストはいない」と思って、そのポジションを目指していろいろな練習をスタートしました。その頃からオリジナル曲も作って、大阪のライブハウスで演奏したり。コンテストでも優勝しました。
――その後、上京してからも音楽活動は順調でしたか。
TAKUYA 18歳になって上京したけれど、何も上手くいかなくて。メンバーも見つからず、東京の生活を軌道に乗せるのに必死な時期でした。アルバイトを頑張りながら、色々なバンドの打ち上げに顔を出したり、先輩の手伝いをしたりとにかく人脈づくりをして……「10代でデビューする」って決めていたのに、気付けば1年あっというまで、19歳になっていた。
そのときに自分のバンドがなかったので「無理かも」って諦めかけていたら「SKAFUNK(スカンク)」というバンドからギターを探しているって声をかけてもらって、19歳でメジャーデビューしました。
――念願通り、10代でのデビューだったんですね。
TAKUYA でも、バンドは1年で解散しちゃって、色々志半ばでした。でも毎回ライブで一生懸命パフォーマンスもやっていたし、TAKUYAというギタリストがいるってことは一部音楽業界の人にプレゼンできたのかな。
ある日、ソニーの新人開発部の人から「オーディションに来ないか」って声を掛けられて、それがジュディマリ加入のきっかけでした。みんな長髪でハードロック系の人がオーディションに来ていて、短髪で原付に乗って来ていたのは僕だけだったと思います(笑)。
撮影:山元茂樹/文藝春秋
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