日本風の屋敷だが、寒いのが苦手なハーンのためにストーヴの焚(た)ける部屋を作り、そこだけは障子ではなく西洋風のガラス戸にして暖房効率を高めるよう工夫した。細部にも気を配り住み心地にこだわる。夫が執筆に集中でき、家族が快適に過ごせる家にしたいと、改築工事の監督に心血を注いだ。

工事が完了して新居に引っ越したのは、明治35年(1902)3月19日のこと。ハーンは屋敷の中をあちこち眺めまわしながら「面白い」「楽しい」と満足そうに微笑む。その笑顔を見てセツも安堵し、ここがふたりの終(つい)の住処(すみか)になることを確信する。安住の地、一番欲していたものをやっと手に入れた。

妻セツや子どもたちとの散歩

西大久保に転居してからも、ハーンの散歩好きはあいかわらず。50歳を過ぎても健脚は衰えず、あちこちの神社や寺を巡り歩く。成長した(編集部註:長男の)一雄や(次男の)巌を連れて出かけることも増えている。セツも時々、人力車の助けを借りて散歩に同行する。家族団欒(だんらん)のひと時を楽しんでいた。

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この頃のハーンが好んでよく行ったのが、雑司ヶ谷の鬼子母神(きしもじん)と野方村の新井薬師だった。屋敷のすぐ近く、村を東西に貫く真っ直ぐな道が伸びている。鬼子母神へ行く時はこの道を渡って北上し、陸軍演習場がある戸山ヶ原の丘陵地を横断する。軍隊が射撃訓練をする時には道沿いに赤旗を掲げて通行禁止となるが、それ以外の日は通り抜けが許される。まだのどかな時代だった。

赤旗の有無を確かめて歩きつづけると、やがて道は旧鎌倉街道に合流する。戸山ヶ原を過ぎ神田上水に架かる面影(おもかげ)橋を渡れば、旧街道の風情がしだいに濃厚になってくる。江戸時代には竹林が生い茂って昼間も暗く、狐や狸が現れて通行人を騙(だま)していたという。また、この道沿いには落語「怪談乳房榎(ちぶさえのき)」ゆかりの寺として知られる南蔵院(なんぞういん)もあり、セツがそれを見過ごすわけがない。話を仕入れてハーンに語って聞かせたことだろう。