“世紀の発見”と称されたSTAP細胞は、なぜ一転して不正事件へと転落したのか。2014年、小保方晴子は一躍時の人となるも、論文不正疑惑と激しい批判の渦中へ。研究者人生を絶たれた彼女の転落と、その後の歩み、そしていまも残る疑問を、宝島社『日本の未解決事件100』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
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世間を翻弄したリケジョ・小保方晴子
小保方晴子(42歳)は、国内有数の研究開発法人である理化学研究所(理研)で、画期的な研究に従事したエリート科学者であった。
後に「リケジョの星」と呼ばれるようになる小保方を一躍有名にしたのは、2014年(平成26年)、いわゆるSTAP細胞の発見である。さまざまな細胞に変化できる「多能性」を獲得した、まさに生物学の常識を覆す細胞の発見者として、小保方は世界中の注目を集めた。
また、『ネイチャー』誌への論文投稿を主導した、理研の上司にあたる笹井芳樹教授も名声を得ることとなった。
だが、その評価はすぐに暗転する。専門家の間でSTAP細胞に対する疑義が相次ぎ、日本国内においても、当時は活発な投稿がなされていた「2ちゃんねる」などで、発表された小保方論文の「不正」を指摘する内容が拡散。
異なるはずの2つの胎盤画像が酷似しているという指摘には、専門家の間にも賛同者が現れ、予定されていた小保方と安倍晋三首相(当時)の面談は急遽中止となった。ここから小保方はメディアと世論の激流に翻弄されることになる。
