1ページ目から読む
3/3ページ目

日本社会の閉塞感の象徴

 最近は選挙でも「改革」や「変革」といった単語では有権者の心をつかめなくなっているという。高齢者の票が多数を握る選挙で今さら「改革」も「変革」もあったものではない。大人が大多数を占める社会で育ってきた若者たちは、見た目で「良い子」を演じるようになった。良い学校に入るために素直に塾に通い、良い内申書をとるために先生には逆らわない、大企業に入るために本当は好きでもないボランティア活動に精を出し、良い成績、良い内申書をとることに注力する。体の良い「想い」だけを大人に語っていれば、社会からは「良い子」として評価される。社会全体が「成長」のための「改革」を志さないばかりでなく、いまや「持続可能性」が最大のテーマとなってしまっている。

 そんな小さな世界の中で、人々はさらに「勇気」や「元気」といったものの「やりとり」に精を出し始めている。「勇気」や「元気」はもともと他人との間で与えたりもらったりするものではない。「元気をもらった」とか「勇気をあげたい」などと平気で言う人がいるが、こうした空気のやりとりみたいな表現の蔓延が、現在の日本社会の閉塞感を象徴している。

©iStock.com

「欲望」があるから競争が生まれる

 元来、人間は欲望の塊であり、自らの欲望を満たすために無理をする、競争をする。「狙い」を定めてその対象を「奪う」のだ。自らの前に立ちはだかるものに怒りを持ち、逆らい、排除しようとするのが人間だ。ところが今の日本人の多くが表面上では「想い」ばかりを口にして実際には何もできないし、やろうともしていない。そして処理しきれない怒りや妬み、欲望をネットの中のバーチャルな空間で撒き散らしているのだ。

ADVERTISEMENT

 こんな日本にはもはや「成長」は期待できないのかもしれない。勇気は自分で奮い立たせるもの。元気は自分でなるもの。そして「想い」だけではなく、ちゃんと考えて実現していくもの。その先にしか未来はない。そしてその未来を創るのはいつの時代でも若い人たちなのだ。がんばれ日本人!