ナチス・ドイツがユダヤ人を中心に行ったホロコースト(組織的迫害や殺戮行為)。その犯罪に関与した人物を法廷に立たせようと活動した人たちを「ナチ・ハンター」と呼ぶ。朝日新聞記者の中川竜児さんは、本書で彼らを訪ね、併せてドイツの80年を歩いている。
「社の制度でドイツに語学留学していた2011年、たまたま見かけたニュースでドイツってすごいなと思ったんです。強制収容所の看守時代に2万8000人の殺害を幇助した罪で91歳の男性に禁錮5年が言い渡されたと報じていました」
その日から11年。特集紙面『GLOBE』の記者になっていた中川さんの目に1本の記事が飛び込んだ。
《ナチス収容所元速記者、97歳に有罪判決》
まだやっていたのか――驚嘆しながらもこのニュースの価値を知りたくなった中川さんは、3頁の特集記事を書き上げた。それを基に加筆したのが本書である。
連合国によるナチス高官の責任を追及したニュルンベルク裁判。ナチ犯罪者事前捜査のために設立された「ナチ犯罪追及センター」。そしてドイツ人が自国の法律でナチ犯罪を裁いたアウシュビッツ裁判。当事者の声を求め中川さんは歩いた。
「ナチ・ハンターと呼ばれる人に感じたのは“それはおかしい”と声を上げ、正しいと信じることをやり通す力があることでした。異端視されたとしてもです」
容疑者がいる限り、ナチ犯罪者を追い続ける。それはドイツが1979年に殺人罪の時効を撤廃したことで可能にしている。復讐が目的ではない。過去の行いを法に照らすのである。
「肉屋のおじさんは昔、強制収容所の看守だった――それは私たちからすると、年老いた人に“なぜそこまで”という感情が先立ちますよね。でもそこで普通の人が犯罪に加担していた歴史に気づかされるのです」
あるナチ・ハンターの言葉は、その「なぜ」を埋める材料となろう。彼は犠牲者リストにある生後数カ月の赤子と、戦後に何十年と生活を送った、殺人を幇助した収容所看守の生きた時間を比べ、こう言うのだ。
〈(赤子の)その後の人生は、全てが失われている〉
両親、妹を含め、親族49人を失ったユダヤ人女性の言葉も重い。
〈私は赦すことはできません。赦しを与えられるのは、犠牲者だけなのですから〉
ベルリンにある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。欧州各国の歩道に埋め込まれた、犠牲者の名を刻んだ「躓(つまず)きの石」。それらの“記憶”は街の歴史となり、やがて振り向かれなくなる日が来るのであろうか。「終章」の先に待つ、人々の忘却である。
中川さんはナチ・ハンターと話す中で感じたことがある。ユダヤ人迫害運動が大規模に行われた「水晶の夜」の後で、ユダヤ人をかくまったと語った父や、解放された収容所に兵として立ち入った記憶が蘇り涙を流したまま無言になった父。ハンターたちには父の“思い”が焼きついているのだ。
「ホロコースト犠牲者追悼の日である1月27日、私は『ユダヤ人のための記念碑』を訪れていた父子に声をかけました。『ドイツ人が過去に何をしたのか、そろそろこの子に伝えようと思って』と、若いお父さんが10歳の男の子に語り継ごうとしていた。私たちも疎かにしてはいけないことがあると強く感じました」
過去の反省からイスラエルを支持してきたドイツは今、ガザ地区の人道問題に葛藤する。現在と過去。新たな分断で揺れる国の姿も伝える本書は、私たちの80年を考える書でもある。
なかがわりゅうじ/1974年、愛媛県生まれ。横浜市立大学文理学部で哲学を学ぶ。2000年、朝日新聞社入社。鳥取、大津、京都、大阪などで勤務し、2010~2011年、ドイツに語学留学。金沢総局次長を経て、2021年12月からGLOBE編集部員。

