世界最北の村・シオラパルクに単独で入り、20代で現地女性と結婚、70代後半を迎えた現在でもその地で暮らす大島育雄氏。『エスキモーになった日本人』(ヤマケイ文庫、1989年刊の同書を復刊)より一部を抜粋して紹介する。(全4回の2回目)

大島育雄氏と子どもたち。「息子と、娘と、短い北極の夏をハラいっぱい楽しむ」(撮影:和泉雅子)

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4カ月間、太陽が顔を出さない

 翌日、午前10時をまわったというのに空は暗く、小屋の窓の明かりがとどく空間にだけ、チラチラと小雪が舞うのが見えた。この季節、この地域ではまる4カ月間、太陽が顔を出さない。一年を一日と考えれば、いまは真夜中に近い時期なのだ。気温はマイナス28度まで下がっていた。

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 植村さんの9頭だての犬橇で出発。私の重いザックは、やはり犬橇で荷物を運ぶエスキモーに託し、カナックへ運んでもらうことにした。ここからシオラパルクまではおよそ200キロ、カナックはその手前の町である。海に氷がはりつめているので、犬橇が唯一の「交通機関」なのだ。

 植村さんは今日はあたたかそうな白クマのズボンを穿(は)いている。これを穿いただけで、豪胆なエスキモー猟師という感じになるから不思議だ。頑丈な木製の橇の上に、トナカイの毛皮を2枚、毛を上にして敷く。クッションと保温のためで、これもエスキモー流なのだった。

「ヤーヤー」(進め)、「ハク」(左へまわれ)、「アッチョ」(右へまわれ)、植村さんはときどきそんな掛け声をかけたり大声で怒鳴ったりしながら、8メートルほどもある長いムチをふるう。向かい風が両方の頰を打って痛い。ときたま本物のムチが飛んでくる。植村さんもまだ犬橇に慣れきってはいないのだ。私は羽毛服のフードを前におろし、もっぱら下を向いていた。

 相前後して出発した数台のエスキモーの橇は、つぎつぎに暗さにまぎれて見えなくなってしまう。足元は氷雪のおかげでほの白いので、前に通った橇の踏み跡を見分けることができる。その上をなぞって進めば迷わずにすむわけだ。

「アイ、アイ、アーイ」(止まれ)

 2、3時間走った頃、植村さんは橇を止めた。休憩である。私もそろそろ身体が冷え、同じ姿勢でいるのにも疲れてきていたところだから、ホッとして橇をおりた。足もとの氷の下が冷たく深い海であることを思うと、なんとなく不気味な感じもしたが、足踏みしながら身体を動かした。橇の上でじっとしているだけで、寒さが体力を消耗させているのがわかった。身を縮めていたせいか、肩がこっていた。