世界最北の村・シオラパルクに単独で入り、20代で現地女性と結婚、70代後半を迎えた現在でもその地で暮らす大島育雄氏。『エスキモーになった日本人』(ヤマケイ文庫、1989年刊の同書を復刊)より一部を抜粋して紹介する。(全4回の1回目)
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エスキモーの妻と5人の子ども
いま、私にはエスキモーの妻と、13歳の長女を筆頭に一男四女、合わせて5人の子どもがいる。職業、猟師……。ことさらそれを意識することはなかったが、極北の生活はいやおうなく私を猟場へ駆り立て、気がついたら猟師であった、猟師でしかなかったというわけだ。
しかし、10年前なら未熟すぎて、とても自分から猟師とは名乗れなかっただろう。近頃はたまに、「俺もなかなか猟師であるな」と自画自賛してみる場面もないではない。
それにしても、この16年の時の流れの速さはどうだろう。ふりかえる暇もなく、追いまくられるように生きてきたせいかもしれない。が、好きなことを夢中でやってこられたということも確かだ。開き直りめいた満足感も覚えるのである。
16年前、この世界最北の村へ入りこんだとき、いまのような自分の姿をチラとでも想像してみたことがあっただろうか。当時25歳の私は、シオラパルクの村人から見ても、「顔つきはイニュ(エスキモー)なのに、なんにも知らない若いやつ」でしかなかった……。
コペンハーゲンでひと月足止め
1972年11月末。私はデンマークの首都コペンハーゲンからジェット機で、グリーンランド北西部にあるチューレ空軍基地についた。グリーンランドはデンマーク領だが、この基地はNATO(北大西洋条約機構)のレーダー基地で、アメリカ空軍が管理している。私が乗ったジェット機は、デンマーク人の基地労働者と物資を輸送するための、軍のチャーター便である。私のような一般の旅客は、デンマーク政府と米軍の許可をもらって、文字どおり便乗させてもらう形になる。その手続きのために、私はコペンハーゲンでひと月あまり足止めをくらってしまった。
はじめての外国。しかも初冬の寒々とした街角。北欧の人々が、私にはことさらよそよそしく感じられた。そのうえ、慣れない手続きの面倒さで、体重が数キロ減ったほどだった。ようやくグリーンランドへ向けて飛び立ったときには、安堵というよりもけだるいような疲労感さえ覚えたものだ。
