タラップの降り口にたつと、いきなり顔にピシピシッと刺激がきて、思わず息をのんだ。風が凍ってとんがっている。鼻毛がビリビリした。
草色のジャケットの労働者の列につづいて、目の前にそびえ立つ格納庫のような建物に駆けこむ。入口でふりかえると、暗い空の下にうっすら雪をかぶった氷原がひろがり、どうやらそのまま海氷とつながっているらしい。飛行機は滑走路というより、その氷原に滑りこんだ形で、吹きつのる風に翼をゆらしているのだった。
植村直己さんの笑顔に安心
出迎えの労働者、入れ違いに休暇で故国へ飛ぶ労働者―ごった返す人ごみの中に、植村直己さんの笑顔をみつけたときは、心底ホッとした。約束どおり、迎えにきてもらえたのだ。植村さんは、現地の手造りらしい、ごわごわした革のアノラック(アンノガー)を着て、カミック(アザラシの皮でつくったエスキモー式ブーツ)を履いていた。すっかりエスキモー・スタイルが板についている。
労働者、軍人あわせて数千人もの人間が住むチューレ基地は、スーパーマーケット、郵便局、銀行、教会、映画館その他いろいろな施設と兵舎の立ち並ぶ、一つの町だった。しかし、凍てついた路上に人影はほとんどなく、極端に窓の小さい灰色の建物の群れは、殺伐としていた。
「ヤパニミュー(日本人)、イクオ。イクオ・オオシマ」
街灯に照らされた雪道をぬけて、基地のはずれの海岸べりにたつ粗末な小屋に入った。それはこのチューレ地区に住むエスキモーの共同小屋で、エスキモーの男たちが10人ばかり、思い思いの格好で床にくつろいでいた。エスキモーたちのもの珍しそうな視線が、いっせいに私に向けられる。ゆうべもここに泊まったという植村さんが、
「ヤパニミュー(日本人)、イクオ。イクオ・オオシマ」
と私の肩を抱いてみせる。緊張と照れ臭さ。まるで先生に紹介してもらった転校生のように、私はチョコンと会釈した。
「イクオ……」「イクオ……」みんな口々につぶやいてみては、顔を見合わせておもしろそうに笑う。
石炭ストーブが燃えていて、十畳ほどの部屋は意外にあたたかい。植村さんがストーブのそばにあったヤカンの紅茶をカップに注いできてくれて、私たちは壁際に腰をおろした。ここにいるエスキモーたちは、空輸された生活物資を犬橇でこの地区の各集落へ運ぶ人、また基地のアメリカ軍人と物々交換で酒や煙草を手にいれるためにきている人だと、植村さんが教えてくれる。セイウチの牙やソープストーン(石鹼石)の彫り物、古い矢じりや銛頭(もりがしら)など、いろいろなものを交換品に用意してきているらしかった。