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三段まで来てようやく、道半ば

 2011年。当時19歳の里見香奈女流三冠は女流タイトルを保持したまま、奨励会に籍を置くことになった。

 多くの奨励会員が6級からスタートするところ、その実力を認められていた里見は、当時将棋連盟会長だった米長邦雄永世棋聖が主導する形で、特例で1級編入試験を受験。里見はそこで合格して、1級でスタートを切った。以後、規定の成績をあげ、初段、二段とステップアップを重ねた。

 そして2013年12月、里見は21歳で三段に昇った。四段までは、あと一歩のようにも思われた。

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2004年2月24日、王将戦の島根県対局の前夜祭にて、まだ女流棋士となる前の里見香奈。「出雲の天才少女」と言われていた ©松本博文

 しかし奨励会は、三段まで来てようやく、道半ばともいえる。三十人前後の若者で構成され、半年に1回おこなわれる三段リーグで上位2人に入らない限り、四段には昇段できないからだ。

 奨励会には「年齢制限」という鉄の掟がある。ごくわずかに例外規定はあるが、基本的には26歳で四段とならない限り、奨励会は退会となる。それがたとえ女性であっても、同様だ。

 筆者は何人もの棋士に、里見が四段になれる可能性はあるのかを尋ねた。将棋界というところは、才能の格付けという点においては、誰もがシビアな目を持っている。棋士が内々で語る本音を聞いて、その厳しさに戦慄を覚えるようなことも多い。そうした中にあって、「里見は四段になってもおかしくない」という声も聞かれた。

 多くの俊英が集う三段リーグで、里見の成績は、決してわるいものではなかった。しかし上位2人に入るまでの成績には、なかなか到達しなかった。

 奨励会で厳しい戦いをしいられる一方で、女流棋界の第一人者として、里見は多忙を極めていた。

2018年、里見香奈26歳

 2016年4月。将棋界始まって以来かもしれない、天才中の天才が三段リーグに入ってきた。それが当時13歳、中学2年になったばかりの、藤井聡太だ。里見と藤井という両天才の将棋人生は、奇しくもここでクロスすることになる。

2016年、史上最年少棋士となった藤井四段(当時) ©文藝春秋

 2016年前期(第59回)奨励会三段リーグは、29人が参加しておこなわれた。全18回戦なので、全員が当たるわけではない。しかし抽選の結果、里見と藤井はリーグの終盤の13回戦で対戦することになった。

 5回戦を終わった時点では、里見が5連勝で、藤井が4勝1敗だった。しかし、藤井がその後も白星を伸ばしたのに対し、里見は黒星が重なっていく。そして両者の対戦は、藤井の勝ちだった。

 最終的に、藤井は13勝5敗でトップ通過を果たす。一方で里見は7勝11敗。またもや四段昇段はならなかった。

 そして2018年2月。佐藤天彦名人、羽生善治竜王らをなぎ倒し、朝日杯優勝を決めた藤井聡太の快挙に世間は沸いていた。

 しかしその一方で、26歳の誕生日を3月に迎える里見香奈三段は、夢なかばにして、奨励会を去ることになった。2007年の「里見フィーバー」から11年。かつてとは違った形で、里見の去就は、大きく報道された。

男性棋士を相手に堂々たる3連勝

 奨励会退会後、里見はすぐにまた注目を集めることになった。女流棋界の代表として男性棋士が参加する一般棋戦(公式戦)に登場し、そこで勝ち始めたからである。

 村田智弘六段、増田裕司六段、福崎文吾九段と破って3連勝。堂々たる勝利だった。

 男性棋士との対戦で好成績をあげれば、「編入試験」という形で、棋士への道が開けてくる。

 そして里見香奈女流四冠が対戦することが決まった相手は……。奇しくも、というべきであろう。2年前に三段リーグで対戦した、藤井聡太七段だった。

2018年8月24日、関西将棋会館にて二人の軌跡は再び交わった ©松本博文

そして二人の軌跡は交わった――藤井聡太七段VS里見香奈女流四冠・観戦レポート〉に続く

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