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 レディースオープントーナメント決勝三番勝負は、里見1勝、矢内1勝の後、2月22日、第3局を迎えた。最後は矢内女流名人の勝ちだった。

 対局が終わった後、カメラが向けられるのは、主に勝者の側である。それがこの対局では、里見がずっと写されている。こんなこともあるのだなと、その時の様子は写真に残した。藤井フィーバーの対局風景に既視感があったのも、そうした理由からだ。

対局終了後、報道陣のカメラは敗者である里見に向けられている ©松本博文

 中3の里見香奈女流1級は、最初のチャンスでの優勝は逃した。しかし、藤井聡太四段と同様に、そのきらめくような才能と、未来の可能性については、誰も疑う者はいなかった。

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 里見は多くの人の予想と期待に応えるかのように、次々と偉業を達成していった。

女性初の「棋士」への期待を背負って

 2008年、里見は高校2年の時に、初タイトルの倉敷藤花位を獲得。2010年、高校を卒業する前には、女流名人位にも就いた。以来、タイトル獲得総数は通算31期(2018年8月現在)。清水市代(49歳)の43期に次いで、歴代2位の記録である。

 それらはもちろん、偉業である。ただし、里見が女流棋界の第一人者となることは、半ば予想されていたことでもあった。

2009年1月9日、里見は新人王戦で稲葉陽四段(現八段)に勝ち、女流棋士の対男性棋士最年少勝利を記録した ©共同通信社

 里見には、さらなる期待がかけられていた。それは「女流棋士」ではない、女性初の「棋士」になることだった。「女流棋士」は「棋士」とはまったく別の制度であり、いわば球界における「女子プロ野球」と「プロ野球(NPB)」のような関係だ。そして、現在までに60名以上の「女流棋士」が世に出たが、女性の「棋士」は一人もいない。

 前提として、将棋界では昔から今に至るまで、総体的に男性と女性の間には、実力差がある。

「なぜ将棋のように、体力ではなく、知力を争う競技に、男女差が生まれるのか」

 そうした疑問は、筆者もよく耳にする。その理由については諸説が語られる。中には、女性が聞いて愉快ではないだろうと思われるような、口さがない声も多い。

 筆者の個人的な見解としては、男性と比較すれば女性が本格的に将棋を指し始めた歴史はまだ浅く、また女性が将棋を指す環境は依然発展途上にあり、単純に競技人口も少ないため、と思われる。

「タイトルを返上してでも奨励会を受験したい」

 将棋の「女流棋士」は1974年の女流名人位戦発足を機に、本格的にスタートした制度である。以来、初代女流名人の蛸島彰子(2018年引退)や、林葉直子、中井広恵、清水市代など、数々のスターが誕生した。現在の女流棋界のレベルは、かつてとは比較にならないほどに向上している。

 女流棋界が隆盛の道をたどる一方で、「棋士」を目指し、その養成機関である新進棋士奨励会(以下奨励会)に所属する女性も、何人も現れた。しかし、プロとなる四段にまで到達した女性は、まだ誰もいない。

2010年2月17日、初めて女流名人位を獲得した頃の里見香奈 ©松本博文

「女性棋士の誕生」は、様々な意味で難行である。しかし里見には、十分にその可能性があると、多くの関係者が期待をこめていた。

「タイトルを返上してでも奨励会を受験したい」

 当時の新聞では、里見のそうした心境が伝えられている。もしこの時に、里見が奨励会一本に専念できていれば、あるいはその先の展開は違っていたかもしれない。しかし、大人の世界の事情で、それは許されなかった。