藤井聡太王将に永瀬拓矢九段が挑み、フルセットの死闘となった第75期ALSOK杯王将戦七番勝負。運命の最終局で立会人を務めたのは、桐山清澄九段(78)だった。

 2022年4月の引退から、まもなく4年。「教授」こと勝又清和七段が、今だからこそ明かせる秘話を訊いた。

桐山清澄九段 ©平松市聖/文藝春秋 ※2020年撮影

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 桐山は18歳で棋士になってから74歳まで56年もの間、現役として戦い続けた。1980年代前半から高槻市在住で、ここから大阪市福島区にあった旧関西将棋会館に通っていた。その頃は会館が高槻に移転するとは思いもしなかっただろう。

 順位戦では28歳でA級に昇級、以来14期連続でその座を維持した。

 当時のA級順位戦の思い出を聞いてみた。

「挑戦者になるのはちょっと無理かなと…」

「中原さん(誠十六世名人)がずっと名人を保持されていて、A級には大山さん(康晴十五世名人)、加藤さん(一二三九段)、米長さん(邦雄永世棋聖)といった方々がいて、大体そのメンバーが名人戦の挑戦者でしたね。

 他はなかなか挑戦者になれない。森さん(雞二九段)がA級1期目で挑戦されたことはありましたが。だから、A級の中でも『特A級』と普通のA級というような、そんな格差を感じる時代でした」

大山康晴十五世名人 ©︎文藝春秋
中原誠十六世名人 ©︎文藝春秋

 桐山はA級5期目、34歳のときに挑戦権を掴んだ。奇しくも現在の永瀬(拓矢九段)と同じ年齢である。1981年、私が将棋道場に通い始め、将棋に夢中になりだした頃だ。ひねり飛車や振り飛車を多用して活躍するオールラウンダー、桐山将棋の躍動を鮮明に記憶している。

アマチュア時代の筆者の初段免状。昭和56年発行。

 名人戦の結果は1勝4敗だったが、第2局で美濃囲いのパーツである3八の銀を5五まで駆け上がらせ、中原玉を仕留めた一局は今なお印象深い。

「上位の層が厚くて、挑戦者になるのはちょっと無理かなと本心で思っていました。順位戦も1局目から残留だけを目指して指していました。挑戦なんて下手に狙っても無駄だと思っていましたから(笑)。

 最終戦で石田さん(和雄九段。私の師匠)に勝って挑戦者になりました。本当に幸運な挑戦でした。名人戦は中原さんに完敗でしたね」