攻撃面では「見極め」と「前で打つ」という2つの意識改革が行われた。打者には「ポイントを前でとらえる」ことで打球の質を高める指導を行い、同時に「見逃し三振は構わない」「四球は評価される」と明確に示した。球団は査定に四球数を強く反映させる制度まで導入し、文化として「四球を選ぶ」姿勢が根づいた。結果として阪神のチーム四球数は494でリーグトップ、総得点555もリーグ首位となった。本塁打は84本でリーグ5位にとどまったが、四球と単打で塁を賑わせ、適時打で還すことで効率的に得点を積み上げた。
打順の妙は、森下翔太を3番に置く起用法だ。4番大山、5番佐藤の前に置くことでプレッシャーを軽くする意図が汲み取れる。この森下が試合を通して勝負強さを得たことにより、打線に厚みが増した。さらに恐怖の8番打者木浪がいることで、9番投手の犠打を経て1番近本光司に戻る循環が成立した。これにより、下位打線の出塁がそのまま得点へつながる流れができた。岡田が重視したのは、誰がどの打順に入ってもその役割を理解しやすくすることであり、選手に迷いを生じさせないことだった。
ベンチワークもこれまでの固定一辺倒ではなく、柔軟さが見えた。開幕カードで代打に送った原口文仁には「速球一点張り」を徹底させ、狙い通り逆転本塁打を引き出した。外野の守備固めでは板山祐太郎を送り込み、ファインプレーを呼び込んだ。采配の意図を問われても「なんとなく代えた」と飄々と語るが、裏には膨大な経験とデータに基づく読みがある。さらに、中心選手の佐藤を、不調時にベンチで声を出していなかったことから、チームの雰囲気を配慮して一時二軍に降格させる決断力も光った。
打率や本塁打に頼らない“再現性のある勝利モデル”の確立
先発投手の運用では「引っ張る勇気」を見せ、序盤に失点しても慌てて交代させず、5回までは投げさせてリリーフの負担を減らした。かつてのJFK時代とは異なり、令和的にアップデートされた負荷管理によってブルペンの崩壊を防ぎ、長期シーズンを戦い抜いた。投手運用の軸にあったのは「制球ファースト」である。村上頌樹や大竹耕太郎といったコマンドと球質で勝負できる選手を積極的に起用した。坂本誠志郎の冴え渡るリードやフレーミングと配球でストライクゾーンを広げ、坂本のスタメンマスク不敗神話も生まれた期間は象徴的である。リリーフは岩崎優、加治屋蓮、岩貞祐太といった投手を信頼し、四球の多い投手は重要な局面では控えめな起用にする傾向が明確に見られた。投打双方で「四球を嫌う」という文化が貫徹され、全員が同じ判断基準で戦うチームとなった。