機械的に殺す兵士、葛藤する兵士
――映画の中で多くの女性たちが悲劇に見舞われますが、彼女たちのそばには巫堂(ムーダン)というシャーマンのような女性が寄り添い、彼女たちが救われることを祈っています。一方、虐殺を命じられる政府軍の討伐隊の中にも葛藤する若い兵士ムンがいて、キリスト教徒である彼は神様に救いを求め祈っている。その2人の祈りの方向性が違うことに、監督が込めた想いをお聞かせください。
ハ・ミョンミ ある意味で、当時の状況を忠実に描くためでした。宗教的信念を持つ兵士ムン、村の共同体の巫堂であるボンスンを描くことで、歴史的な背景も表現したかったのです。実際、当時のキリスト教徒の中には、北朝鮮で迫害を受けた人たちがいました。共産主義下ではキリスト教が信仰できず、キリスト教徒は共産主義者に強い反感を抱いていたという歴史的背景があるんです。そのためあの兵士のキャラクターは、神を信じる者として「共産主義者を見分けられる目をください」と祈る人物です。自分の信念に従い正義のために行動しますが、実際に起こることは決して正義ではなく、内面で大きな葛藤を抱える人物として描きたかったのです。当時の軍人の中には数字の達成を目的に、多くの犠牲者を機械的に殺す残酷な兵士もいました。しかし一方で、何が起きているのか理解せずに済州島に来て、やむなく民間人を殺さざるを得なかったために深く苦しんだ軍人もいた、という証言もあります。そうした苦悩を持つ軍人の姿を、このキャラクターを通して描きたかったのです。彼らもある意味、国家暴力の犠牲者だったという視点を伝えたかったのです。
また、巫堂についてですが、済州の共同体を描くうえで巫堂は欠かせない存在です。現在でもそうです。従来の映画の中で描かれてきた巫堂は恐ろしいイメージがありますが、実際の済州の巫堂は共同体のセラピストのような存在で、人々を癒し守ろうとする役割を担っていました。映画ではその精神的・宗教的な側面を強調したかったのです。最後の場面のボンスンは、カトリックの聖女のようなイメージで描こうとした部分もあります。

