第10作で突然のシリーズ終焉
すっかり桃次郎役にハマってしまった文太だったが、その頃東映京都では文太を主演に想定した『仁義なき戦い』シリーズ「北陸編」の企画が着々と動いていた。
しかし、桃次郎にハンドルを切ってしまっている文太は「北陸編」の主演にはまったく乗らず、上層部の頼みにも黒い煙をまいて逃げてしまう。諦めた日下部五朗プロデューサーと深作欣二監督は、松方弘樹主演で『北陸代理戦争』(77年)と改題。『仁義なき戦い』新シリーズもご破算となるなど会社としては色々あったようだ。
『トラック野郎』は子どものファンも多く、第4作『トラック野郎 天下御免』(76年12月25日公開)では、オープニングでデコトラのプラモデルを走らせる子ども達が本物のデコトラに手を振るシーンもあり、当時は一番星号のミニカーまで発売され、児童誌の裏表紙等に広告が乗るほどの人気っぷりであった。
しかし寅さんのお上品な喜劇に比べると、桃さんは(今で言う)ソープランドの常連で、毎回裸のねえちゃんは出てくるわ、大家族のジョナサン一家の子どもたちを銭湯ではなくソープの風呂に入れたりとやったらいかんことやりたい放題。
しかもストリップはあるわ、トイレで行きずりの女とハメようとするわ下品極まりなく、子ども連れの観客は毎回別の意味でハラハラしていた。やがて際どいエロは減少し、第9作『トラック野郎 熱風5000キロ』(79年8月4日公開)では、ジャッキー・チェンの出世作『ドランクモンキー 酔拳』との同時上映が実現。世にいうカンフーブームへと発展し、子ども達は新しいファンを引き連れ以前にも増して東映の劇場へ足を運んでいったのである。
そんな『トラック野郎』だったが、これだけヒットしていたにもかかわらず、第10作『トラック野郎 故郷特急便』(79年12月22日公開)を持ってシリーズは前触れもなく終焉となる。
交通違反シーンの連続に警視庁からクレームが入ったやら、東映が戦記物の超大作にシフトチェンジしたなど憶測は出回ったが、明確な理由は則文監督ですら伝わっておらず、文太も真相を語らないまま墓場まで持って行ったため一般的には謎のままだ。辞めざるを得ない大人の事情が絡んでいたのだろう。東映はその後、黒沢年男主演で『ダンプ渡り鳥』(81年4月29日公開)を製作。ふたたびマドンナ役に原田美枝子を起用するも『トラック野郎』ほどのヒットには至らず一作で終了している。