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派手な生活を忘れられず「借金まみれ」
そのうちヒロポン(覚醒剤)に手を出し、呆れた女は去り、暮らしは荒廃。1962年12月に故郷の仙台に舞い戻る。
ただ、一時であれ銀幕の華々しい日々が脳裏に焼きついていた車は知人から借金しては派手な生活を続ける。1963年初めに友人と一緒に紅洋実業株式会社を設立して水産物の販売を手がけるも、わずか3ヶ月で倒産。その後も貿易会社を設立したものの、これも失敗し、その後は自分で不動産売買の仲介をしたり、不動産会社に入社して土地売買の斡旋に従事したが、どれも長くは続かなかった。
そのころ、バーのホステスをしていた女性と親しくなり、事件直前の1964年12月初めに入籍。すでに夫婦の間には子供がいた。が、当時、親戚、友人知人から借りた金は約400万円にのぼり、毎日のように債権者から返済を迫られていた。
そこで思いついたのが身代金誘拐である。当時まだ未解決だった吉展ちゃん誘拐事件をヒントに、金持ちの子供をさらい金を奪い取ろうと考えた。
そして、狙いを付けたのが1964年春ごろ、手形の期日延長を申し入れた際に知り合った資産家の菅原興業社長の三男、智行ちゃん。事件当日、車は偽の電話をかけた後、智行ちゃんが自宅を出て白百合学園前に差しかかったとき、「みんな先にバスで行ってしまったからお兄ちゃんが連れて行ってやる」などと言い自動車に拉致。