「被告人の権利を守ってやるのが裁判所だ。憎しみや見せしめのためだけで刑を重くすることがあってはならない」
5歳男児を誘拐・殺害した元俳優に下された罰とは? なぜ父親は激怒したのか? 昭和39年の誘拐殺人事件――裁判の行方、男のその後を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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5歳少年を誘拐殺人した男の人生
少年を誘拐殺人した車は1935年(昭和10年)、仙台市堤通りで、警察官であった父大八と母きよしの長男として生まれた。ひとり息子だったことから両親に可愛がられ育ったが、中学1年のとき父親が結核で死亡。
高校進学後、自身も病弱で学校を長期欠席していたことや、母親が燃料商を営む男性と同居するようになったため、高校卒業後は単身上京、映画俳優になるべく俳優養成所の東京芸術学院に入学した。
その後、学院の演技指導者の推薦で新東宝に入社し、1957年の映画「幽霊沼の黄金」で俳優デビュー。2年後の1959年には、フジテレビ系列の時代劇「変幻三日月 丸」にレギュラー出演し、その後松竹に移籍して以降、脇役ながら「柳生旅日記・竜虎活殺剣」(1960)で近衛十四郎、「黒潮秘聞・地獄の百万両」(1960)で田村高廣など大物役者と共演。
1962年にはカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した仲代達矢主演の「切腹」に小姓役として出演した。しかし、俳優としての活動はこのころまでで、松竹京都撮影所に移ってからはほとんど仕事がなくなり、一時は女優の卵とヒモ同然の同棲生活を送った。
