俳優のほかモデル、映画監督、歌手など多彩な活動を展開する池田エライザがきょう4月16日、30歳の誕生日を迎えた。(全2回の1回目)
出身は福岡市。日本人の父親とフィリピン人の母親とのあいだに生まれる。母親は歌手・モデルの仕事をしていて、フィリピンに住む祖父母も役者をやっていたりと、池田によれば《表現することが否定されず許される環境》で育つ(『anan』2019年5月22日号)。彼女が子供の頃、まだ日本語が達者ではなかった母親とのコミュニケーションは放課後、ピアノの前で発声練習をすることだったとか。
ただ、性格がシャイなので、まずなりたいと思った職業は表に出なくていい小説家だった。もともと文字が読めれば何でもいいというほどの読書好きで、子供のときからグロテスクなグリム童話を、親に見えないよう分厚い本に隠して読んだりしていたというから早熟だ。自分でも小学3年生ぐらいから小説を書いては、友達に読んでもらっていたという。
「『ニコラ』に応募しなよ」芸能界入りのきっかけは…
そんな内向的な少女が芸能界入りしたのは、通っていた中学が合併したのがそもそものきっかけだった。合併先の中学の生徒たちのあいだで可愛いと一躍注目され、「(ティーン誌の)『ニコラ』のモデルに応募しなよ」と勧められたのだ。
こうして『ニコラ』の専属モデルとなり、芸能活動を始めてからというもの、周りからの扱われ方がまったく変わってしまう。それまでにも、母親が外国人で、小学6年生ですでに身長が165センチあったことから、多少いじめられることはあった。しかし、芸能人になった途端、彼女のことを知らない人たちからイメージだけで判断され、過剰にチヤホヤされる反面、過剰にいじめられるようにもなったという。
10万円を手にカバン一つで上京
そんな学校生活とは裏腹に仕事の範囲は確実に広がっていく。当初は「お芝居なんか絶対やらない」と思っていたが、中学在学中の2011年には『高校デビュー』で映画デビューし、俳優の仕事を始めた。高校2年となった2013年からは女性誌『CanCam』の専属モデルとなる。このころには学校行事に出られないほど仕事が忙しくなっていた。当時はまだ地元の福岡に住んだまま、仕事があるたびに上京しており、往復の飛行機でますます読書に熱中した。
一方で、自分の携わる仕事に関心が持てず、それを見かねたマネージャーから「あなたが着ている服は、どこでつくったものかわかるの?」と言われてしまう。その一言に好奇心がぶわっと湧いた池田は、本を買っては勉強するようになったものの、今度はアウトプットができないことにモヤモヤを覚えた。同時に、このまま地元でぬくぬくしていてはいけない、もっと外に出て吸収して発信しなければつまらないと決意すると、10万円の所持金とカバン一つで上京し、5畳半の部屋に住み始めた。高校3年にしての転機だった。

