「厳しい指導」で休職した過去

 高井さんとの出会いは2000年までさかのぼる。成果主義人事制度の導入による職務の個人化や職場のコミュニケーションの希薄化などにより、メンタルヘルス不調を訴えて欠勤、休職する社員の増加について、取材・調査を始めて間もない頃だった。

 その頃の高井さんは、メンタルクリニックで適応障害の診断を受けて約1か月半にわたり休職し、職場復帰から半年ほど過ぎた時期。快くインタビューを受けてくれたものの、体調が気がかりで、質問の言葉選びに苦心したことを昨日のことのように思い出す。

 綴じ糸がところどころ切れて変色した取材ノートには、彼の生気のない表情や体を丸めた不安げな姿勢など、非言語コミュニケーションの様子を克明に記録している。

ADVERTISEMENT

「今も月に1回程度通院していますが、薬は精神安定剤を必要なときに飲んでいる程度です。先生に頼んで『うつ病』ではなく、精神疾患の程度が弱い印象のある『適応障害』の診断名にしてもらったぐらいですから、それほど症状は重くなかったんです。仕事に取り組む意欲を失ってしまったことが、休職することになった理由でして……」

 挨拶を交わしてから10分ほどの間、沈黙を挟んでなかなか取材を開始できる雰囲気ではなかったのだが、うつむき加減だった顔を上げ、彼が小さい声ながら語り始めた。それを受け、ようやく核心に触れる質問を投げかけた。

「つらい経験をされたようですが、何がきっかけだったのですか?」

「そうですね。入社以来希望していた営業部に異動してきて、意気込んでいたのですが……。上司の課長から『仕事を取ってくるまで、帰ってくるな』などと𠮟られ続け、厳しい指導についていけなくて……。私が質問したり、自分の考えを話したりしても、全く聞く耳を持たない感じで、意思疎通も図れなくて……。情けないです……。でも……職場復帰してからは、周囲の人たちに助けられて、ようやく調子が戻ってきたかな、という感じなんです」

「気配りのできる上司になりたい」

 その課長は、高井さんが休職から職場復帰する直前、定期人事異動で営業部内の別の課の課長へと異動した。以前から内々に決まっていた人事であると部長からは聞かされたという。

 2000年当時は、ある書籍をきっかけに、「パワハラ」という和製英語が世に出る3年ほど前。厚生労働省がパワハラの定義を初めて公表するのは、12年後のことだ。今となっては、高井さんが受けた「厳しい指導」をパワハラと断定することはできない。職場で優位に立つ者による指導やコミュニケーションの方法によっては、相手の心身にダメージを与えるという認識に乏しかった時代、彼が職場復帰して仕事の調子を取り戻すまでの苦労はいかばかりか、想像に難くなかった。

「周囲の人たちに、どのように助けられたのか、教えていただけますか?」

「新たに着任した課長が私の意見や要望をよく聞いてくれ、担当する職務についてわかりやすく説明してくれる人で……少しずつ、営業の仕事にも慣れてきました。課長以外、人はほとんど変わっていないのに、まるで違う職場のようです。それから、別の部署にいる同期のみんなが励ましてくれて、感謝しています」

画像はイメージ ©︎faintlight/イメージマート

 感情の表出を努めて抑えていた高井さんの顔にはいつしか、笑みがこぼれていた。

「私も、いつか管理職になれたら……部下や職場の皆さんに気配りのできる上司になりたいと思っています」

 そう真剣な表情で言い切ったのが、印象に残っている。

 その後のインタビューでも、職場の人たちと人間関係を育む努力を重ねている様子だったが、出会いから5年ほど経た頃から、連絡しても取材を断られるか、返信がない状態が続く。