「ケアできる」上司とはかけ離れた管理職に
もう継続インタビューは難しいかと諦めかけていた2010年、不意に高井さんから連絡が入る。3か月前に39歳で同期の先陣を切って営業部の課長に昇進したという。1週間後、会って話を聞くと、課長ポストを手にするまでには並々ならぬ努力があったこと、さらに職場の対人関係に対する考えに変化が生じたことを知る。
「われわれ団塊ジュニア世代は、常に厳しい競争にさらされてきましたからね。係長から課長になるまでのこの数年間は、特に大変でした。営業という実績が比較的見えやすい部署でいかに得点を稼ぐか、と同時に失敗して減点されないか……。そんな中で……同期はライバルとして敵視する仲になりました……」
以前よりも「声が大きい」「堂々とした雰囲気」と、取材ノートにはある。
「かつて上司の厳しい指導がきっかけで心の病を患って休職された時に、同期の皆さんが励ましてくれて感謝している、気配りのできる上司になりたい、とおっしゃっていましたけれど……。あのー、失礼ですが、考えが変わったということなのでしょうか?」
高井さんが眉をひそめ、その表情の変化を悟られないようにやや視線を落とす。そして、こう切り返した。
「会社という組織で生き残っていくには仕方ないですよ。職場の人間に気を遣っていたら、自分が足をすくわれますから」
部下たちを「ケアできる」上司とはかけ離れた課長になっている高井さんの姿を前に、適切な質問もできずにもどかしさを感じた取材だった。
それからも、高井さんは46歳で部長、50歳で営業本部長就任という出世街道を歩む。この間も、当初目指していた管理職像からは、ますます遠ざかっていくのが見て取れた。
改正労働施策総合推進法(通称「パワハラ防止法」)が施行された翌年の21年、営業本部長ポストに就いて数か月が過ぎた彼に、職場のパワハラ防止対策について意見を求めると、「今どきの若い社員は指導をいじめと捉え、困ったものです」とパワハラ対策と真正面から向き合っている姿勢が見られず、認識の甘さに危うさを感じたものだった。
会社員終盤、消費者の心に寄り添えたら……
そうして、冒頭で紹介した2024年晩秋の場面へとつながる。パワハラと認定されながらも、「指導」と言い張り、「相手の気持ちは考えなかった」と話す高井さんは、かつて上司の厳しい指導でつらい経験をした頃の彼と同一人物とは、とても思えなかった。
しかし、パワハラ加害の経験が皮肉にも、彼に「ケア」の心を思い出させることになるのだ。
人事部付となってから数か月後、定期人事で役職なしのまま、消費者サービスセンターに異動する。自ら希望した部署だった。25年秋、異動から半年が過ぎ、54歳になった高井さんはインタビューでこう思いを明かした。
「懲戒処分を受けて人事部付になっている間、30年の会社員人生を振り返るなかで、自分が上司との関係でつらい経験をしているにもかかわらず、上司になって部下がどのような助けを必要としているのか、またどんな気持ちで何を考えているのかなどを聞こうとせず、自分の考えを一方的に押しつけていたことにやっと気づきました。遅きに失したかもしれませんが、せめて会社員人生の終盤に、消費者の問い合わせや相談に応じる部署で皆さんとつながりたいと考えたんです。苦情も受けますし、戸惑うことが多いですが……まずは電話口の向こうのお客様の声に真摯に耳を傾け、その心に寄り添えたらと思い、日々努力しているところです」
懲戒処分を受けた降格人事とはいえ、勤務する会社では営業本部長経験者が同センターで電話対応業務をするケースは初めて。自分から申し出て、本来の庶務業務のほか、週に3日、若手社員や契約社員、派遣スタッフに交じって業務に当たっているという。
「私が課長に昇進した時、部下たちに気を配ることのできる上司になるという考えが変わったのか、尋ねられましたよね。実は……自分が若い頃に目指していた管理職になっていないことは重々わかっていたし、そのことが心のどこかでずっと引っかかってはいたんです。自分を偽るのはストレスになるし、自身を労れなかったことでもありますよね。定年まであと数年と残り少ないですが、会社員人生の最後にお客様や同僚たちを思いやることのできる社員になれれば……。漠然とではありますが、そう願いながら仕事に取り組んでいます」
そう言い終えると、安堵した表情で取材場所の喫茶室の窓から、家路を急ぐ会社員の姿を目で追った。四半世紀に及ぶ長期インタビューで、最も穏やかな面持ちに見えた。