カウはしだいに自分で温泉宿を持ち、その女将の座に就きたいと考えるようになる。が、伝統ある塩原温泉で新参者が入り込めるような所はなかなか見つからなかった。

温泉旅館経営者とねんごろに

 1958年秋、50歳となり焦っていたカウに耳寄りな情報が入る。「日本閣」というホテルが経営不振で300万円前後で売りに出されているのだという。何でも、日本閣は温泉を利用する権利を持たず、増築中の新館も骨組みだけのまま工事が中断されているらしい。

 そこで、さっそく日本閣の経営者、生方鎌輔(同51歳)に電話で問い合わせたところ、売る気などないという。が、ほどなく日本閣は資金に行き詰まり、半年後の1959年春には鎌輔の方からカウに共同経営者にならないかと話が持ち込まれる。鎌輔が言うには「妻のウメ(同47歳)と関係が上手くいっておらず、別れるにあたり手切れ金50万円を要求されている。30万円を貸してくれればウメを追い出し、あんたと夫婦になれる」という。

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 カウは共同経営者にするという約束も交わし、すぐに男女の関係になった。

 以来、鎌輔はカウの家に入り浸りになるようになり、群馬県の渋川に2人で一泊旅行に出かけた際、寝物語にとんでもない提案を切り出す。

「いっそのことウメを殺してしまうか。そうすれば50万円をやらずに済み、その分旅館の立て直しに使える」

 カウに何の異論もなかった。