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ついに日本閣を我が物に
カウは裏切った鎌輔が許せず、今度は大貫に「日本閣の亭主にしてやる」とエサをまき殺害を依頼。同年大晦日の17時ごろ、ホテルの帳場でテレビを見ていた鎌輔の背後からカウが細引きで首を絞め、大貫が包丁で首を切りつけトドメをさした。
翌日、元旦の挨拶に来た人々にカウは「鎌輔さんは金策で東京に行きました」となんでもない顔で言ったそうだ。
こうして日本閣を我が物にしたカウだが、さすがにホテルの経営者夫婦が2人とも姿を消せば、塩原では彼女を怪しむ声が以前に増して大きくなり、新聞も紙面を割き事件の詳細を連日のように報じた。
結果、警察も動き出し、1961年2月19日、カウと大貫は栃木県大田原署に殺人容疑で逮捕される。その日のうちに大貫は自供、カウも3日後から自供を始め、ほどなく鎌輔とウメさんの遺体発見に至る。
そして、2ヶ月後には警察の厳しい追及に屈し9年前の夫殺しも自白。ちなみに、カウは取り調べで大貫も殺害する予定だったと語っている。
殺人、死体遺棄などの罪で宇都宮地裁に起訴されたカウと大貫の裁判には、秀之助さん殺しの幇助罪で中村元巡査も出廷した。