「やる気なし、使命感なし、執着なし」のぼんくら男という斬新な足利尊氏像は、いかにして生み出されたのか? みずから、垣根涼介氏の歴史小説の「観察者」と称する橘玲氏が、過去作も含めてその創作の秘密を解き明かす。

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 私は垣根涼介さんの歴史小説の愛読者ではなく観察者だ。なぜなら、私にはいつか歴史小説を書いてみたいという野心があるから。

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 最初の「垣根涼介」体験は、日本政府の“棄民政策”でアマゾンの辺境に送られ、見捨てられた日本人の復讐を描く『ワイルド・ソウル』だった。主人公は日系ブラジル人で、「日本という島国を世界に結びつけるこんなハードボイルドが書けるのか」と衝撃を受けた。

 その後、ドミニカ共和国を訪れたとき、何人かの日系移民の方と話す機会があった。幼い頃、なにもわからないまま親に連れられて異国に渡り、岩や石だらけの荒れ地で極貧の暮らしをし、刻苦勉励によって経済的な成功を手にするまでの凄絶な体験は、『ワイルド・ソウル』に登場するブラジル移民とまったく同じで、この作品を書き上げる前に徹底した取材をしていることがよくわかった。

直木賞受賞記者会見での垣根涼介氏

 次の「垣根涼介」体験は、書店で『光秀の定理』を見かけたときだ。それまでハードボイルドの作家だと思っていた垣根さんの歴史小説ということで、興味本位で手に取ったら、巻頭に「最も強き者、最も賢い者が生き残るわけではない。唯一生き残る者、それは、変化できる者である」というチャールズ・ダーウィンの言葉が掲げられていてびっくりした。

 そのまま立ち読みしたら、モンティ・ホール問題が出てきてもっと驚いた。モンティ・ホールというテレビ司会者がホストを務めるアメリカのゲーム番組で行なわれたゲームで、その後、数学者を交えた激しい論争になったことで知られる。

 三つの閉まった扉があり、その一つに賞品が隠されている。参加者が一つの扉を選択すると、司会者のモンティ・ホールが外れのドアを一つ開ける。このとき、参加者は最初の選択を変えるべきか、それともそのままにしておくべきか、というのが問題だ。

織田信長とベイズの定理

 三つの扉の一つが当たりなのだから、確率は三分の一だ。外れの扉が一つ明かされたことで、確率は二分の一になる。だとしたら、選択を変えても変えなくても同じだ―と思えるだろう。

 だが正解は「別の扉を選ぶ」で、事前確率の三分の一が事後確率の三分の二に上がる。これがベイズ定理だが、直観的には理解しづらいため数学者でも間違えることがある。

 この謎を解くために、織田信長は扉の代わりに茶碗を一〇〇個用意させ、その一つに当たりの石を入れて光秀に選ばせる。その確率は当然、一〇〇分の一だ。次に信長は、石の入っていない九八個の茶碗を開け、光秀が選んだ茶碗と、そうでない茶碗だけが残る。これなら、一〇〇分の\一(一パーセント)だった事前確率が、九八回の手掛かり(外れの茶碗)を与えられたことで一〇〇分の九九(九九パーセント)の事後確率へと変化していくことがわかるだろう。これは見事な場面で、その発想に「歴史小説でこんなことができるのか」と驚いた。

 明智光秀は信長の右腕として羽柴秀吉とともに活躍したが、じつはその出生や若い頃はよくわかっていない。一次史料に最初に現われるのは越前の朝倉氏のもとにいた一五六六年で、その頃に織田信長に仕官したとされる。若き日の光秀と、架空の人物(シャムの国でパーリ語の仏典を学んだ僧と、「笹の葉流」の若き剣の達人)との交友を描くのは、史実にとらわれることなく創作の余地を広げる工夫として感心した。