前者は理屈としてシンプルでわかりやすいが、後者はさらに精緻な議論が必要になってくるだろう。家制度はすでに廃止されてひさしい。そのうえでいう「伝統的な家族」とはいったいなにを指しているのか。それは夫婦同姓や戸籍がなければ維持できないものなのか――。
戦後史をみると、この議論の補助線をなすように、保守的な家族観も否応なく変化していったことが浮かび上がってくる。
断絶史観/連続史観
さて、以上のように歴史を整理すると「やはり戦後になって日本は自由になったのだな」と感じるひとも多いだろう。
この感覚を推し進めて体系化すると、「断絶史観」とでも呼ぶべき歴史観にたどりつく。農地改革や財閥解体、公職追放などGHQの諸改革によって、日本は戦前ときっぱり決別し、自由な社会を獲得し、文化国家・平和国家として生まれ変わったという見方である。
この理解では、戦前の日本は対照的に軍国主義的で全体主義的な暗黒時代だったと描かれる。いわく、軍部が大きな影響力を持ち、憲兵や特高警察が思想を取り締まり、言論の自由も十分には認められていなかった。いわく、新聞や雑誌も体制に逆らえば弾圧されるため萎縮していた。いわく、ひとびとは家制度のもとで封建的な秩序に縛られ、とくに女性にはほとんど自由がなかった。
今日でもかなり共有されている歴史観だが、ここまで白黒はっきりしていると、反動として「押し付け史観」と呼ばれる見方も生み出すことになった。憲法改正をはじめとする戦後の諸改革はGHQの圧力で強制されたものであり、その結果、日本本来の姿が歪められてしまったとする理解である。
しかし、近年ではこのような単純な見方はあらためられつつある。戦前と戦後はそんなに断絶していたのだろうか。むしろ、あらゆる面で連続していたのではないか。そういう「連続史観」への支持が強まってきているのである。
※本記事の全文(11000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年5月号に掲載されています(辻田真佐憲「『戦後』の正体」)。
全文では、以下の内容が語られています。
・「家族国家」としての大日本帝国
・「女には電化という生活維新」
・保守派も家族国家を肯定できない
出典元
【文藝春秋 目次】東京極秘対談 ティール×トッド 世界は終末を迎えているのか/池上彰×佐藤優 “暴れ獅子”トランプと“女豹”高市の生きるか死ぬか/官邸官僚の第二の人生
2026年5月号
2026年4月10日 発売
1300円(税込)
