「結婚しようか」「しましょう、しましょう」

 和田さんの自宅兼仕事場は、東京・青山にありました。部屋のインテリアは、倉俣史朗さんが手がけ、壁いっぱいに本棚があって、本がぎっしり詰まっていました。

※倉俣史朗は、銀座の「三愛ドリームセンター」のインテリアデザインで注目を集め、1965(昭和40)年に独立。独創的な店舗デザインや家具などを発表する。

 本棚に『血の晩餐 大蘇芳年の芸術』という大型本がありました。幕末に活躍した浮世絵師、大蘇(月岡)芳年の血みどろでおどろおどろしい絵ばかりを集めたもの。和田さんは、それを私に見せながら、怖い、お化けの話をいっぱいしてくれました。

平野レミ ©文藝春秋

 布団が重くて足元を見たら、何かがいたとか、音が聞こえたとか。大きな目をして、淡々と怖い話をするの。私の父は「お化けを守る会」を主宰していたほどで、私も怪奇話が好きだったので、もっと話して、と聞いているうちに終電を逃し、知り合いの男性に車で自宅まで送ってもらいました。

ADVERTISEMENT

 別れ際に「また来るかい?」と聞かれ、私は次の日も、また次の日も家に行ったのです。出会って4日ぐらいたってから、和田さんは、前々から計画していたフランク・シナトラのコンサートを見に、アメリカに旅立ちました。

 会えないと思うと、たまらなく寂しかった。数日後に帰国した和田さんから「結婚しようか」と言われて、私は「しましょう、しましょう」。出会って一週間ぐらいで結婚を決めたのです。

次の記事に続く 「結婚したい相手がいる」と長男が紹介してきたのは女優だった…平野レミが語る、義理の娘・上野樹里との意外な関係性