中学1年で“客引き”として立ち、夜の街で金を動かした少女――それが後の細木数子だった。自著に刻まれた衝撃の過去とは? ノンフィクション作家・溝口敦氏の文庫新刊『細木数子 魔女の履歴書』(講談社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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細木数子の半生記『女の履歴書』
細木は、今は絶版になっている半生記『女の履歴書』の中で、自分が子供のころからどうカネを貯め込んできたか詳しく語っている。ひと言でいえば彼女はまず売春の斡旋、ポン引きでカネを稼ぎ始めた。自ら堂々とわが罪と恥を明示するあたり、『女の履歴書』は天下の奇書といえよう。
ただし同書が記す年次は信頼性に乏しい。たとえば細木が銀座のクラブ『メルバ』の雇われママになったのは19歳としているが、実際には22歳ごろだった。また静岡市の老舗眼鏡店の跡継ぎ息子Hと結婚したのは21歳としているが、実際には24歳。総じて3歳ぐらいサバを読んでいる。
以下、『女の履歴書』から幼少期の稼ぎの部分を要約してみよう。
〈細木の実母みつが営む渋谷・百軒店の『娘茶屋』は、なかば公然と従業員婦女が売春し、青線化していた。
細木は1951(昭和26)年、松濤中学1年のときから店に出て接客した。まだ背が低く、カウンターの下にビールの木箱を置き、その上に乗って客の相手をしたのだ。
細木は毎夜10時になると、1人で客引きに出掛けた。当時、道玄坂には大映の映画館があった。映画の最終上映が終わるのがちょうど10時で、数子がビルの陰に立っていると、中年の男性が声を掛けてくる。
「きみ、そんなところで何しているの?」
「…………」

