主人公の豊臣秀長を仲野太賀、秀吉を池松壮亮が演じるNHKの大河ドラマ『豊臣兄弟!』。4月26日放送の第16回では、織田信長の“最大の悪行”とも言われる比叡山焼き討ちが描かれる。信長に振り回される豊臣兄弟だが、2人が「もう俺たちは織田家の下には立たない」と“宣言”することになるのはいつなのか? 歴史学者の磯田道史氏が解説する。
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戦後急速に業務拡大した昭和の企業と同じ
(浜松への奉公を経て)尾張に戻った秀吉は、織田信長のところで小者奉公を始めます。その時期には諸説がありますが、18歳で戻ったとすると、それから程なくして織田家に仕えたと考えられます。
秀吉の存在が文書として確認できるのは、かなり後の永禄8(1565)年11月2日になります。坪内利定という武将に知行を安堵した書状で、「木下藤吉郎」と副署しています。このとき秀吉は29歳ですが、織田家の家臣として、それなりの働きをしていたことがわかります。
また永禄年間には、秀吉は細々とした事務を精力的にこなし、あちこちに手紙を書いているのですが、この時期の秀吉の手紙には誤字、当て字が多い。たとえば腰に巻く「帯」を、タイという音なら「対」と書いてみたり。きちんと教育を受けられなかった人が頑張って、書類づくりに取り組んでいる姿が見えてきます。
信長が桶狭間で今川軍を破ったのが永禄3(1560)年5月のこと。ここから信長は尾張を統一し、美濃を平定して、永禄11(1568)年の9月には足利義昭を擁立して京都へ歩を進めます。すると、織田の勢力圏が広がるにしたがって、大量に家来が必要になるわけです。その人材をどこからリクルートするかといえば、まずは親類縁者に声をかける。弟やいとこ、その友だちと、とにかく伝手をたどって人を集めるほかない。戦後まもなく急速に業務拡大した昭和の企業と同じです。秀長が織田家に仕えるようになった時期は、まさに織田家の高度成長期だったと考えられます。
秀吉より待遇がよかった秀長
その秀長が初めて歴史上に登場するのは、天正2(1574)年7月、伊勢長島の一向一揆です。『信長公記』によると、信長の馬廻りとして「木下小一郎」が登場するのです。実は、ここが面白いところで、馬廻り衆といえば、信長の親衛隊、旗本に当たります。雑役従事の小者奉公から出発した秀吉よりも、秀長のほうが待遇がいいのです。
