かつての清水町の中心地へ

 町中を流れる巴川沿いを、南に歩く。途中でJR東海道線と静岡鉄道の線路を続けて渡り、静かな住宅地といった町の中を進んでゆく。

 

 この先が、かつての清水町の中心部。例の清水次郎長もこのあたりで生まれたという(生家跡も残っている)。

 

 巴川を渡り、清水駅前からずっと南に走ってきた国道149号へ。国道に面して、静岡鉄道の新清水駅があった。10年ほど前にも一度だけ、新清水駅には来たことがある。そのときは曇り空だったからなのか、いくらか殺伐とした駅前だなあという印象を抱いたものだ。

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 が、今回は快晴とまではいかないが晴れの日の新清水。かつては路面電車が走っていたという目の前の国道にはクルマがひっきりなしで走り、電車が到着するとお客がパラパラと降りてくる。実際は殺伐となんかしていない、明るい私鉄の小ターミナルである。

 
 

 国道を渡って路地の中に入ると、そこにはちょっとした歓楽街に清水区役所。きっともとは清水市役所だったのだろう。旧清水町の中心部近くに清水市役所。清水市は、そのさらに先にある清水港とともに育ってきた町だ。

日本一の“お茶の積み出し港”だった

 清水港は、古代からその名が広く知られた天然の良港で、戦国時代には武田の水軍が拠点を置いたこともある。江戸時代には駿河や甲斐などの年貢の蔵出し港となって発展した。明治に入ってからの清水港は、お茶の積み出し港として名を轟かせる。

 

 いまでは鹿児島と生産量1・2位を争う静岡のお茶。その生産量が一気に増えたのは、明治初期に職を失った幕臣たちが中心となって牧之原台地を開拓、茶畑にしたことにはじまる。

 そして、生産された茶は蒸気船も入港出来るようになった近代港・清水港から全国各地、ひいては世界中へと運ばれていった。清水の町は、エスパルスもちびまる子も有名だが、静岡の存在感を大いに高めた立役者だったのである。

 

 清水区役所の東側から、しみずマリンロードという市道を渡れば、その先はもう清水港だ。