また、司法解剖で胃腸内の食物の消化状態が確認され、死亡推定時刻は9日21時ごろから10日午前1時ごろと判明。さらに現場から玄米4俵が盗まれていること、犯人が外から室内の様子を窺うために唾液で開けたとみられる障子の穴が見つかった。
凶器をもとに捜査を進めると⋯
警察は、凶器である薪割り用の「ヨキ」と呼ばれる斧の線から本格的な捜査を開始する。斧には「市」の刻印があり、1930年(昭和5年)に下伊那郡山吹村(現・高森町大字山吹)で10丁制作されたもののうち、市田村下市田の住民が購入して地元の製糸組合に納入、釜焚きの薪割りに用いられていた7丁のうちの1丁だったことが判明。
警察は斧の納入を受けていた製糸組合の従業員・出入り業者など293人を徹底的に調べた。
しかし、事件当時は終戦直後の混乱期で、かつそれから15、16年前に遡っての捜査であることに加え、斧の保管責任者が1943年に満州に行ったまま消息不明になっていたことなどから調査は困難を極め、最終的に7丁の斧のうち3丁は雑役夫や火夫の助手たちに盗まれていたことがわかったものの、残り4丁の所持者や行方は最後まで明らかにならなかった。
◆◆◆
警察は「現場に土地勘のある地元住民」であると犯人像を絞り込んだ。住民たちは村のどこに「大量殺人犯」がいるかわからない状態から疑心暗鬼に。7人を殺害した「犯人の正体」とは――。
