「ボクシングだけは描きたくなかった」

「父親がボクシング好きで、小さい頃から一緒にテレビで観ていたから、僕も好きなんです。ゴールデンタイムに放送されていた具志堅用高の13回の防衛戦はぜんぶ観ていますよ。当時(1980年代後半)はテレビ東京で毎週海外のボクシングを放送していて、全盛期のマイク・タイソンの試合も観ていました。それで、編集者から『ボクシング好きだよね、描いてみない?』と言われたんです」

 編集者からすると、サッカー(球技)、F1(モータースポーツ)でうまくいかなかったから、ボクシング(格闘技)で、という考えだったのかもしれない。しかし、森川さんは「ボクシングだけは描きたくなかった」という。

『シグナルブルー』も15話で打ち切りに。それでも編集者は森川さんを見捨てず、次はボクシングを題材にした作品に取り組むことに ©石川啓次/文藝春秋

「週刊少年サンデーでは『がんばれ元気』、週刊少年ジャンプでは『リングにかけろ』というボクシングマンガがあって、それはもうヒットしていましたし、ジャンルとしても読者にうけるとわかっていました。でもね、ちばさんの『あしたのジョー』が掲載されていた週刊少年マガジンでボクシングマンガを描くというのは勇気がいりますよ。とにかく、本当に描きたくなかったことを覚えています」

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 とはいえ、編集者のアイデアをむげに断るわけにもいかない。そこで、妥協案として描き始めたのが「高校ボクシング部」。格闘技ではなく、部活での青春をテーマにした。

 それからは、アシスタントの仕事で生活費を稼ぎながら、毎週のようにネーム(コマ割りや構図、キャラとセリフを大まかに配置したもの)を提出した。担当編集者はネームを見て「いける」と判断したら、連載の候補として連載決定会議にかける。もちろん、編集会議でNGが出されることも珍しくない。

 ここから、無間地獄が始まった。

担当編集と迷いに迷った日々

 担当編集者と連載決定会議の壁を突破するために、ネームの段階である程度の完成度が求められる。ネームはマンガになる一歩手前の下書きだから、相応の時間がかかる。

 講談社にはマンガ家がネームを描くスペースと仮眠室があり、森川さんは講談社に泊まり込んでネームを描いた。これが、過去3作品とは比べ物にならないほど難航した。何度出しても、やり直し。なにが答えなのか、お互いに先が見えないやり取りが続く。

「もうね、迷宮にはまり込んじゃうんですよ。編集者と、あれが良かった、これが良かった、こうしよう、ああしようって言って、どんどん直していくうちに、編集者が『最初のやつが一番良かったね』と言ったりして、もうわけわかんなくなっちゃうんです」

 ある日のこと。徹夜でネームを描き上げ、編集者に託した。編集者はそのネームを持って、連載決定会議に臨む。森川さんは会議室のすぐ近くのブースで結果を待っていた。その席は、会議室からは見えない位置にあった。

 どれぐらいの時間が経っただろうか。会議室の扉が開き、週刊少年マガジンの編集部員が部屋から出てくるのがわかった。その時にハッキリと、誰かが発した信じられない言葉が聞こえた。