「私はみんなと一緒のステージにいないんだ」入院中に専門学校の退学を決めたワケ
――入院中に専門学校の退学も決めたそうですね。
めい もう何も考えたくなくなっちゃったんですよね。今思えば片目でも頑張れたんですけど、当時はみんなが楽しそうな姿をSNSで見たりすると、「私はみんなと一緒のステージにいないんだ」と比べて落ち込んじゃって。
専門学校に登校するようになったら、より一層みんなと自分を比べちゃいそうだったから、一旦学校から離れたいと思ったんです。それに、怪我をする前のように電車に乗って学校に通ったり、授業を受けたりするイメージも湧かなくて。
――不安な入院生活の中で、支えになっていたものはありますか?
めい 当時ハマっていたテイラー・スウィフトさんの「Shake It Off」っていう曲を聴いてました。「嫌なものを振り払うぞ!」という歌詞なんですよ。曲を聴いている間は元気になれる気がして、リピートしてました。
退院後にショックを受けた出来事
――怪我をしてからどれくらいで退院できたのでしょうか。
めい 退院したのは、怪我から1ヶ月後です。入院中から「できるだけ下を向いて過ごすように」と言われていたので、退院後もしばらくは下を向いて生活していましたね。
――なぜ下を向かないといけなかったのですか?
めい 手術後、眼圧を安定させるために、目の中にオイルを入れていたんです。そのオイルを眼球に浸透させるために、「うつむく姿勢」を続ける必要があったんです。ただ、その姿勢を維持するのもしんどいし、ずっと下を向いているからか気持ちもどんどん下がってきて……。
3ヶ月ほどその生活を続けたのですが、結局、目の状態がなかなか安定せず、抜くはずだったオイルは現在もそのままです。それからは、定期的に検査をしながらも“普通の生活”に戻りました。ただ、普通の生活を送るようになってから、人の目がどうしても気になってしまって……。
――怪我をした左目を見られているように感じた?
めい そうなんです。手術したばかりで、今よりもゴツくて目立つ眼帯をしていたのもあって、外に出ると周りからの視線をめちゃくちゃ感じたんですよね。専門学校に退学の挨拶をしに行ったときも、私を見てギョッとしている人が何人もいて。当時は、それがすごくショックでした。
撮影=三宅史郎/文藝春秋
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