自らデザイン・製作した義眼を装着、その自身の姿や製作の経緯を映像化して作品として発表しているアーティストのRib(リブ)さん(31)。そんなRibさんに、3回にわたりインタビュー。2回目は、片目失明者として過ごしてきたRibさんの壮絶な体験や、乗り越えてきた苦しい思いについてうかがいました。(全3回の2回目/つづきを読む)
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思春期に大人から浴びせられた理不尽な罵詈雑言
――片目失明者として記憶に残る体験をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか……?
Ribさん(以下、Rib)私は20歳で初めて義眼を身に着けたんですけど、それまでは失明した方の目を眼帯や前髪で隠していました。素の状態、義眼を着けてない白濁した眼球を出した状態だと、公共空間から排除される。そういう経験をいっぱいしてきました。
すごく極端な例で言うと、高校生の私がとあるホテルの結婚式場のアルバイトの面接に行ったときのことなんですが……応募要項には表方も裏方もあって選べるよ、とあったので、何かしらできる仕事があるんじゃないかと思って応募しました。
それで通用口から入って、面接官の方に「本日面接していただく者です。よろしくお願いします」と挨拶をしたら、こんにちはの一言もなく、第一声が「その前髪上げてくれない?」と。それで前髪を上げたところ……そこからもう罵詈雑言を浴びせられて。多分そのかたはストレスが溜まっていたのかもしれません。端的にいうと「君みたいなモンスターは、うちみたいな高級な場では働けない」と。
――えっ? 「モンスター」と言ったんですか?
Rib そうなんです。醜いという意味合いで「モンスター」という言い回しでした。
――大の大人が、高校生にそんな言葉を。
Rib 極端な例ではあるんですけど。このときは大号泣しました。
ガラスの破片を浴び、1週間放置されて
――多感な思春期にそんな体験をされたんですね。そもそも子ども時代にケガをして失明されたとのことですが、どういう状況だったんでしょうか。
Rib あまり思い出したくないことではあるんですが……ざっくりお話しします。
――恐縮です。お話しいただける範囲で。
Rib 失明したのはおそらく1歳から3歳の間だと思うんですけど、何歳だったのか、正確な年齢はわかりません。わかっているのはガラスを顔面に浴びたことと、病院に行って治療が受けられるまで1週間かかってしまったということ。つまり1週間眼球にガラスが刺さった状態で、放置されていたわけです。
そうした環境を抜け出したのが12歳くらいのときで、そこまでの記憶はちょっとぼんやりしています。それ以降は親族宅に移り住むことができて、割と平穏な生活ができるようになったんですが、子ども時代の家庭環境の影響でやや混乱した10代を過ごし、ようやく自分の人生に少し余裕が出てきたのは19歳か20歳くらい。その頃にやっと「義眼を作りたい」と思うようになったんです。

