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死刑になるかと思いきや⋯
殺人罪および同未遂罪で起訴された杉山の裁判は事件翌月の1949年10月から横浜地裁小田原支部で始まり、3ヶ月後の1950年1月12日に判決公判。裁判長は犯行時18歳4ヶ月という未成年ながら、身勝手な理由で何の落ち度もない5人の命を奪った罪は重大として、杉山に死刑を宣告する。
杉山は判決直後に控訴したが、後に「贖罪したい」として控訴取り下げを申し立てた。度々拘置所を訪れ接見していた弁護人から説得を受けても翻意せず、拘置所長も最終的に控訴取り下げの手続きを取ろうとしていたところ、予期せぬ人物が事態を動かす。
一審で死刑判決を下した裁判長の三淵乾太郎(1906-1985)が直々に杉山を訪ね、控訴するよう強く説得したのだ。
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5人殺害した少年はなぜ死刑を逃れたのか? そして刑務所を出たあとに犯した「さらなる罪」とは⋯⋯。
