かつてクマは高値で取引され、密猟のターゲットとなっていた。NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長の米田一彦さんの著書『家に帰ったらクマがいた』(PHP新書)より、人間の欲望のためにクマが襲われたエピソードを紹介する――。(第3回)

※写真はイメージです iStock.com/Oleg Elagin

高値で売れるクマを待つ地獄の扱い

20世紀の日本では、善良であるはずの農民とハンターによる密猟、名望ある養蜂家による背徳がクマの周りに取りついていた。高価で取引されたクマは、東アジアで地獄の扱いを受けることになる。私はこれまで、クマの密猟を100例は見ただろう。私の前職はなんせ秋田県生活環境部自然保護課で密猟を取り締まる側にいた。

広島に来てからは、密猟されそうなクマを救助し、300頭あまりを山に帰していた。あんな強大な動物を密猟するだろうかと不思議に思うだろうが、農民は怒りにまかせて普通にやる。ハンターはサル、イノシシ、シカ、クマを除去してくれるから農民の英雄であって、警察の保安課員と結びつきが強い。

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県警保安課の銃器担当者が県猟友会の会長になった例もある。養蜂家はたいてい、村の有力者だ。私は学生時代、知り合いのリンゴ園に通ってクマを観察していたし、行なわれている原始的な被害対策を見てきて、その努力に敬意を抱いていた。西中国に来て会った密猟農家を犯罪者に仕立てるのではなく、彼らが密猟したクマを当方が引き取り、奥山へ放獣した。

腹を割られ左足を奪われたクマの姿

県の事業への協力者という枠に入れることで、彼らが責任追及されない方法を取ったのだ。ハンターによるイノシシ捕獲罠にクマがかかる錯誤捕獲でも、同様の方法を取った。だが、この密猟は悪質だった。クマは腹を割られて胆嚢(たんのう)が抜かれ、左前足は肩から先が持ち去られている。このような残酷なやり方の密猟は初めて見た。

複数人ならクマ1頭を担いで運んだだろうし、解体したのは1人だったのだろう。私は惨い姿になったこのクマを見た瞬間、まったく理解ができず「大きなオスグマの仕業だろうか」と最初思った。しかしドラム缶檻の入口は遠くへ跳ね投げられ、クマは外へ出されて仰向けになっている。1990年代、私は広島県と島根県でテレメトリー追跡調査を行ない捕獲していた。