――冤罪の被害者や支援者たちは、すべての事件について全過程の録音録画を期待していたので、一部の事件の逮捕・勾留後の取調べに限定されたことにがっかりしている人もいました。

 でも、私はあの時、男女雇用機会均等法が初めて制定された時のことを思い出したんですよね。

 あの法律は、経済界からも労働界からも大変な抵抗にさらされながら成立しました。雇用に関して差別があってはならないと言っても、違反者に罰則があるわけではなく、「こんな法律作っても何の役にも立たない」という批判もありました。私もそう言っていた1人です。でも、法の施行を機に、世の中は少しずつ変わっていきました。度重なる改正もされ、今は差別の禁止がはっきり書かれています。

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 現場の状況も大きく変化しました。ゼロの状態から1を生み出す困難さに比べれば、1を2にバージョンアップするエネルギーはずっと少なくてすむ。だから、最初はたとえ不十分であっても、まずはゼロを1にすることが大事で、可視化についても同じことが言えるのではないか、と。

村木 最初の均等法は、労働省婦人少年局長として法案作成の中心となっていた赤松良子さんが「みにくいあひるの子」と言ったように、美しい白鳥となるまでに何回もの改正を経なければならず、私も担当部局がずっと努力しているのを見てきました。なので、新たに法律を作るというのは、そういうものだと思っていました。

 だから可視化も――刑事訴訟法をしばしば変えるのは難しいでしょうが――とりあえず穴を開けよう、と。もっと強気に、全事件・全過程での実施を求める道もあったかもしれませんが、あの頃の我々の数と実力では、裁判員裁判対象事件など一部を対象とするのが精一杯でした。

©︎鈴木七絵/文藝春秋

学者たちは“裁かれる人”の側に立たない

――5人が塊になってがんばったとはいえ、特別部会での議論というのは大変だったんでしょう?

村木 本当に……。厚生労働省の審議会とは全然違いました。厚労省の審議会では、委員となる学者は国民の代表として参加していて、「公益」を大事にしてくださいます。異なる意見があっても、それをよく聞く。いろんな立場の人の思いや考えを聞いて、みんなにとってよい解決方法を探すのが学者の役割だ、という姿勢なんですね。

 ところが法制審に出てくる学者はそうではない。私たちが発言すると、すぐ被せるように「それは違う」「間違っている」と断定するんですね。

 だんだん分かってきたのは、刑事司法制度のエンドユーザーは裁かれる人なのに、その法律の素案を作る場に、裁かれる人の側に立ったり、そういう人のことを考える学者がほとんどいない、ということでした。みんな裁く側なんですよ。だから私はとっても嫌だったんですね。

 裁判員裁判は、法律のプロではないけれど、常識をもった1人1人の市民が、証拠を見て、判断する結果を信頼してできた制度ですよね。それを考えれば、「素人は引っ込んでろ」と言わんばかりの法制審のやり方はおかしいと思うんですよ。