アルゴリズムに身をゆだね、日々、流れゆく情報に思考のリソースを奪われていると感じている人も多いかもしれない。勉強のセットアップに必要なのは自分で考える環境を取り戻すこと。そのためにはSNS断ちが欠かせない。そのうえで、勉強に必要な反芻の余白をどうやって作ればいいのか? アメリカ留学時代にSNS完全断ちに成功し、「勉強の成果」を手にしたという文学研究者の阿部幸大さんが、SNSの喧騒を離れ、思考を深める秘訣を語ります。
「勉強を手に入れたい」。そう願う人の背中を後押しし、着実に階段をのぼるための心構え・道具立てを可能にしてくれるエッセイ連載、第2回目です。
※本連載は『勉強を手に入れる』と題して書籍化される予定です
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SNSを見ると、なぜ「勉強」から遠ざかるのか
SNSは有害である――そんな話は、もう聞き飽きたでしょう。
うつや不安との相関、自己評価や集中力の低下、あるいはシンプルに時間の浪費。みなさんも、程度の差こそあれ、そういったSNSの有害性を、それなりに味わったことがあると思います。
今回は、タイトルにある「SNS断ち」を推奨する内容ではあります。しかし本稿では、上記のような一般論とはすこし違う角度から、SNSを断つことは勉強の条件である、そのような主張を展開しつつ、ではSNSを断ったうえでどうするのか、そこまでお話ししてみたいと思います。
SNSを見るのは時間の無駄です。しかし、それはいかにわれわれを、本連載の言うところの「勉強」から遠ざけるのでしょうか。
SNSを覗くと、毎日どこかで誰かが炎上している様子が流れてきます。ときにはあなたの発信が炎上に巻き込まれたり、あなたも炎上に参戦したりするかもしれません。あるいは、もっとライトに、自分のことかもしれない悪口を見かけるとかでもいい。ともかく、それはあなたの精神を削り、勉強どころか、生活を破壊します。
しかし、そんなことは誰でもわかっている。いま指摘したい問題は、もうすこし別のところにあります。
ポジティブなSNSの発信にこそ思考がハックされる
SNSを覗くと、嫌な話題や出来事だけでなく、あなたがずっとフォローしている発信者のポストが流れてくると思います。「勉強を手に入れる」などというタイトルの連載を読んでくださっている読者のみなさんは、おそらく、斬新だったり、意外だったり、希少だったり、示唆的だったり、批判的だったり、論争的だったり、そのような「一味違う」発信力のある特定のユーザーを追っている場合が多いでしょう。
もしかすると、SNSにはたしかに実害もあるが、そうしたポストから得られる実益や喜びもおおきく、それゆえ辞めるにはおよばないと考えているひとも多いかもしれません。しかし、じつはそうしたポジティヴな発信にこそ、本稿で着目したいSNSの問題は眠っているのです。
ひとは、他人による発言に触れると、たとえ望まなくとも、そのことについてしばらく考えてしまいます。たとえば陣営Aと陣営Bが激しく言い争っているとき、自分はAとBのどちらに同意するか、Aに同意するとして、Bのどこが受け入れられないか、Aのロジックのどこが正しいと思うか、そのようなことについて考えることを避けられません。反射的に思考が喚起されてしまう。
このことは、話題そのものや、論争の内容じたいが不快なものである場合にのみ起こるのではありません。むしろ、あなたが尊敬していたり興味をもっていたり参考にしていたりする、そのような発信者の発信内容こそ、あなたの思考に甚大な影響をおよぼします。
するとどうなるか。あなたは、SNSを見たあと、SNSで見かけた内容を考えつづけてしまうのです。それは、たとえるなら、コンビニでかかっていた音楽が店外に出たあと脳内でリピートされるような現象に似ています。
これは、「勉強」にとって、時間の浪費という問題にとどまりません。もっと深刻です。
人間は、インプットした情報を素材にして思考します。それはつまり、どのような情報をインプットするかで、その後の思考の内容や方向が決定されてしまうということです。そこであなたは、あるひとの発信内容に含まれていた、語彙や、話題や、主張や、論法や、図式や、はては口調までを「真似」してしまいます。「真似」という言葉がしっくりこなければ、無意識に反芻してしまうのだ、と言ってもいい。
もちろん、そのくらいのことは、たとえば本を読んでも人と話しても起こります。ただ、SNSの問題は、こうした「素材」が無尽蔵に入ってきてしまう、ということにあります。
これは、サボっているよりも有害な状態です。サボっているのなら、すくなくとも頭に余白がある。しかしSNSを見てしまうと、頭が「占領」されてしまうのです。情報収集のつもりで開いたSNSが、思考のリソースを奪うということ、これがいま指摘したい問題です。
ただし、ここで有害なのは、反芻という行為そのものではありません。「勉強」の効果を得るには、あたらしい概念や思考をインストールするために、まさしくそれを反芻し、自分の言葉や感覚で再構築するプロセスが必要になる。今回はこのプロセスを詳述することはできませんが、こうしたすぐに効果が出ない反芻は、まさに「勉強を手に入れる」ことの重要な要件です。
今回の文脈で重要なのは、ひとは同時にいくつもの話題を反芻することはできない、ということです。SNSを断つことの真の理由はここにあります。依存から抜け出すことでも、時間を取り戻すことでもなく、自分がインストールしたい思考の素材をきちんと選んで脳内にキープできる環境を整えること。それが、勉強の条件としてのSNS断ちです。
