「ストイックに頑張る」ことの美点は多くの人が感じるところでしょう。成果を出す人こそキツさを快楽に変えるプロ。ではいかにしてその転換を可能にするのか? 哲学者ドゥルーズのマゾヒズム論をヒントに、他人のルールに縛られず、勉強の負荷を自分でデザインする秘訣に迫る。
「勉強を手に入れたい」。そう願う人の背中を後押しし、着実に階段をのぼるための心構え・道具立てを可能にしてくれるエッセイ連載、第3回目です。
※本連載は『勉強を手に入れる』と題して書籍化される予定です
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「キツさ」は勉強の強力なツールになる
「ストイックに頑張る」ことは、勉強における最大の美点のひとつである――そのように考えるひとは多いと思います。
わたし自身、よく知人や友人からストイックであると評されることがあり、それらはあきらかに褒め言葉です。しかし、本連載の読者はお気づきかと思いますが、わたしは辛いことは苦手です。苦手であるぐらいなら、まあいいのですが、本連載のトピックである「勉強」は、成果が出るまでに時間がかかる営為です。そこでは基本的に、継続性が不可欠になる。そして誰しも、辛いことは長くは続けられません。辛いということは、勉強にとって有害なのです。
しかし問題は、勉強はラクなだけでもダメだということです。とくに大きな成果を出そうと思ったら、どうしても勉強にはキツさがともなう。だから、なるべくキツくないように、あれこれ策を練って、なんとか騙しだましやっていく必要がある。じっさい本連載では、そういうテクニックも紹介します。
しかし、じつは「キツさ」は、うまく使いこなせば勉強の強力なツールになるとしたら、どうでしょうか。
わたしにとって「キツさ」は、かならずしも勉強において最小化すべき必要悪ではありません。それは勉強の継続を阻害する要因にもなりうるが、ときに、むしろ勉強の勢いをブーストしてくれるような劇薬にもなりうる。もっといえば、キツさは快楽に転じうるポテンシャルを秘めています。
そのようにうまく機能するキツさを「ストイシズム」と呼びながら、そのメカニズムと作りかたについて考えてみたい。それが、今回の内容です。
「キツい」を「楽しい」に変えるコツ――ドゥルーズのマゾヒズム論に学ぶ、自分流の勉強デザイン
ところで、「キツさが快楽に転じる」という話は、みなさんもよく知っていると思います。そう、これは、マゾヒズムです。
マゾヒズムはサディズムとセットで性的倒錯のカテゴリだというイメージが強いと思います。あるいは、まさにストイックに頑張っているひとを指して、あのひとはMなのだと言ったりもする。しかし、これについては、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズが『ザッヘル=マゾッホ紹介』という有名な本で、そのメカニズムを詳しく分析しており、そこではちょっと違うポイントが指摘されています。
ドゥルーズの議論は非常に複雑なので、いささか単純化することになりますが、今回はこの人文学の知見を援用してみましょう。
まず、「マゾッホ」というのは作家の名前です。オーストリア(ドイツ語)の小説家で、とくに『毛皮を着たヴィーナス』という作品で知られています。ある保養地で暇を持て余した若い男が、そこで若く美しい寡婦に出会い、ふたりは恋に落ちる。その愛の表現において、男は女に、毛皮を着たうえで、自分を足蹴にし、さらには打擲してほしいと頼む。はじめ女は拒否感を示すが、やがて受け入れ、ふたりは主人と奴隷の関係になる――だいたいこんな話です。
この男はわれわれのイメージする「マゾヒスト」そのものであるわけですが、しかしドゥルーズによれば、マゾヒストが求めているのは、踏まれたり打たれたりすることで味わえる苦痛それじたいではありません。彼が求めているのは「契約」である、ドゥルーズはそう強調します。
じっさい、小説でふたりは契約書をかわします。「毛皮を着る」という約束も含め、苦痛を受けるマゾヒストのほうが、苦痛の条件や内容などを事前に詳細に取り決めている。そして、その契約内容に厳密にのっとって、苦痛を享受することを望むわけです。
つまりマゾヒズムの根幹にあるのは、苦痛にたいする受動的な服従ではなく、苦痛の条件設定の積極的かつ徹底的なコントロールであるということです。マゾヒストみずからが設定した厳密なルールのもとで遂行されるからこそ、その儀式における苦痛は快楽に転化する。
これをぐっと卑近な言いかたでパラフレーズすれば、他人から押し付けられた厳しいルールに従うのは苦痛だが、自分で決めた厳しいルールに従うのは快楽でありうる、ということにほかなりません。
さて、見えてきたでしょうか。これはストイシズムと酷似しています。ストイックに成功しているように見える人間とは、負荷の条件を自分でデザインできている人間です。「キツいけど頑張る」は、負荷のデザインの放棄にすぎない。ドゥルーズのマゾヒズム論は、はからずも、本質的に負荷をともなう勉強という行為を手に入れるための哲学的なヒントになっています。
じっさい、これはまさに「ストイシズム」の本義のひとつでもありました。その語源であるストア哲学の核心は、ストイックさの内実として一般的に理解されている「苦しいことへの耐性を鍛える」ことにはありません。彼らの哲学の核心のひとつは、「自分にコントロールできることと、できないことを区別せよ」ということでした。ストア派は、コントロール不能な苦痛に惑わされることを戒めた。これはむしろ、辛さを回避する方法論です。
いっぽうマゾッホは、コントロールされた苦痛から快楽を引き出すメカニズムを発明した。われわれがここから学ぶべきは、勉強の負荷において、コントロール可能な部分の苦痛を自分でデザインすべし、ということです。辛さを無視するのでも、ただ受忍するのでもなく、負荷の条件を自分で手に入れること。それに成功したとき、はじめて勉強の苦痛は真価を発揮しはじめます。


