所属するコミュニティの優秀さは、驚くほど均質である――。自身の研究室出身者の業績をリスト化し、分析するなかでそう気づいたという文学研究者が、統計的な限界値を超え、“外れ値”を叩き出すために必要な真の努力について語る。「努力の量ではなく、方向性を変えるのだ」。
「勉強を手に入れたい」。そう願う人の背中を後押しし、着実に階段をのぼるための心構え・道具立てを可能にしてくれるエッセイ連載、第6回目です。
※本連載は『勉強を手に入れる』と題して書籍化される予定です
◆◆◆
「才能もないし、人一倍の努力もできない」と気づいた人が取るべき戦略
「自分には才能がないから、人一倍がんばります」――こうした宣言は、とりわけ勉強や仕事で努力しているひとが頻繁に口にします。
どんな分野でもそうですが、真面目に頑張っていると、すごい人たちがいかにすごいのかが見えてきて、自分の凡庸さを思い知ることになります。そこで、自分のダメさを直視しつつ、それでも才能ゆたかな人材とわたりあってゆくために、バカな自分はもっともっと努力するしかないのだ、という結論に到達するわけです。
これは謙虚でまっとうな決意であるように見えますが、わたしはそう思っていません。
「人一倍がんばります」という言明は、「わたしには人の何倍も努力できる才能があります」と言っているに等しいからです。
ここでは「凡庸な自分」と「才能ある他人」が対比されているわけですが、この「才能ある他人」も、当然ながら努力ぐらいしています。努力している「才能ある他人」に、「凡庸な自分」が努力で勝負するには、2倍どころではなく、おそらく桁違いの努力が必要になる。
みんなが努力しているなかで、誰よりも頑張って努力の量によって突出するなどということは、とりわけ自分のような凡才にとっては、まず不可能だろう――ほんとうに自分が凡庸だと信じるなら、第一にそう考えないといけないはずです。じつは「自分は凡庸」と「努力でカバー」という認識は相性が悪いんですね。
では、才能もないし、人一倍の努力もできないとなると、絶望するしかないのでしょうか。凡庸さに甘んじ、すみっこで大人しくしているしかないのでしょうか。
そんなことはない。ただ、「人一倍の努力」という戦略が間違っているだけです。というわけで今回は、努力の量ではなく、方向を変えてみよう、という話をしてみたいと思います。

