あの先輩は伝説級にすごい、は本当か。
例によって、わたしの大学院生時代のエピソードから見取り図を立ち上げてみましょう。
アメリカに留学して2年ほどたったころ、わたしは「将来どういう研究者になりたいのか」について、はっきりとしたビジョンを打ち立てようと考えました。長い院生生活の終わりが見えてきて、ようやく終わったらどうなるのかについて考えはじめたわけです。このとき33歳ですから、なんとも贅沢なのんびり具合です。
ともあれ、これは「どういう人生を歩みたいか」という問いみたいなもので、すぐに答えが見つかったわけではありません。ただ、まず準備としてやってみたのは、自分の研究室の出身者の業績リストを年表にする、という作業でした。全員の名前を横に並べ、縦に時間軸をもってきて、誰が何歳のときにどんな媒体に論文を載せたのか、エクセルで年表を作ったのです。
その結果、いくつかわかったことがあります。そのひとつは、漠然と優秀だという印象を抱いていた人が成果ベースでみるとそうでもなかったり、あるいはあまり目立っていない印象の人がコンスタントに地味な成果を出していたりといった、意外な客観的データでした。だいたい学生時代の「優秀さ」などという指標は、長期的に見るとあまりアテにならないものです。
ただ、今回の話で重要なのは別のところにあります。
わたしの出身の研究室は、数十年にわたって多くの研究者を輩出してきた歴史あるコミュニティです。そういう組織では、超優秀な人から、まさしく凡庸な人まで、とても豊かなスペクトラムが広がっている……ように思えますが、じつは全出身者をデータ化して、ちょっと遠くから離れて眺めてみると、だいたいみんな同じくらいの範囲に収束するということが見えてくるのです。
わたしもそのコミュニティの出身者ですから、その内部にいると、あの先輩は伝説級にすごいんだというような、内部の相対的な優劣に目を奪われてしまいがちでした。しかし、それは統計を取ったうえで一歩外に出てみれば、ものすごく均質な集団であることがわかります。
はじめ、わたしは研究者としての成功モデルを優秀な先輩に求めようと考えていました。しかし上記の作業から、それはじつは目標の設定方法からして視野狭窄にすぎるのではないかと疑いはじめたのです。
そこで考えたのは、こういうことでした――このコミュニティ内部の基準において、自分は超優秀でないのはもちろん、超バカでもない。つまり、わたしは成功しても失敗しても、だいたいこの範囲に収まるのだろう。わたし個人の主観からそう思うのではなく、過去数十年にわたってそんな人はいなかったから、そう思うのだ。ここでは、わたしもまた「ふつう」であるに違いない。それは統計が物語っている。
では、その統計の外れ値になることは、もはや不可能なのでしょうか。
