ハワイでお披露目
慶応幼稚舎からの慶応ボーイで、学業優先だった櫻井は3人ほど目立った存在ではなかった。その櫻井をジャニーに猛プッシュしたのは、デビュー後の嵐をマネジメントした姪の藤島ジュリー景子だ。作家・早見和真の「ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間」(新潮社)で、
〈櫻井は『頼むから入れてくれ』とお願いして『嵐』にいれてもらったんでした〉
と内情を明かし、櫻井の魅力についてこう語っている。
〈それこそ女子の好きそうなものをいくつも持っていたので。可愛げ、賢さ、あとやんちゃな部分とかですかね。当時はヘソピアスとかしていましたから〉
櫻井は日本で広まり始めたラップミュージックを好んで聴いていた。
「ジャニーさんはユーロビートのダンスミュージックでデビューしたV6の次は、ラップを使うグループをと考えていました。それでラップ担当の櫻井を軸に二宮、松本を加えましたが、2人の歌がひどいので、歌と踊りがうまい大野を呼んだ(笑)。なぜかジャニーさんの頭には相葉がなく、滝沢秀明が『相葉はどうなっちゃうの?』とジャニーさんに言ったことで最後のピースにハマったんです」(レコード会社社員)
スポーツ紙記者らを連れてハワイでお披露目という仕掛けもあり、デビュー曲はオリコン1位を獲得。
「だが、その後はパッとせず、ジャニーズなら至上命題のオリコン週間1位を取れないこともあった。ジュリー氏は所属レコード会社のポニーキャニオンが力を入れていないと不満だった。契約を2年で打ち切り、2001年に嵐のためのレコード会社『Jストーム』を作り、移籍させました。最初のシングル『a Day in Our Life』を500円で発売し、なんとか1位を取りました」(同前)
潮目が変わったのは、05年10月クールのTBS金曜10時枠ドラマ「花より男子」に出演した松本の大ブレークだった。だが、松本にとってこれは棚ボタの仕事だった。
「実はこの枠はのちにフジで放送されて大ヒットする『のだめカンタービレ』が放送されるはずだった。ところがその話が潰れて急に別のドラマを作らなくてはいけなくなった。『花より男子』はもっと後に制作される予定で、主演の井上真央は内定していたが、他のキャストは未定だった。『のだめ』ではⅤ6の岡田准一がメインキャストで出演する予定だったこともあり、TBSがジャニーズに『花より男子』の台本を渡したところ、ジャニーズ側から『松本で』となったんです」(TBS関係者)
(文中敬称略)
※本記事の全文(9500字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年6月号に掲載されています(髙橋大介「嵐『内幕ルポ』 五叉路の行く先」)。
全文では、以下の内容が語られています。
・二宮「天性の役者だね」
・性加害問題とメンバーの退所
・60歳に向かってどう歩くか


