“鬼オーバーライン”のアイメイク、長く飾ったネイル、巻き上げたド派手な金髪で有名になり、「Ranzuki」「小悪魔ageha」「ageha」「LOVEggg」とギャル雑誌の専属モデルを15年つとめたうさたにパイセン(31)。現在は日本ギャル協会の会長として、ギャル文化を世界に発信し、YouTubeチャンネルの登録者数は41万人を超えている。
だが、かつての自分について「空気」「いじめられていた」と語り、教室では声を発することすらできない少女だったという。テレビに映るガングロギャルに衝撃を受け、15歳で家を飛び出して母親を泣かせる生活に。「人生を変えてたギャルとの出会い」とヤンチャすぎる10代の生活について話を聞いた。(全3回の1回目)
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――うさたにさんは小さい頃からずっとギャルだったんですか?
うさたに まったく逆ですね。超人見知りの引っ込み思案で、人の目を気にしすぎて喋れないタイプで「空気になるのが私だ」と思ってました。勉強はできなかったけど学級委員とかやって、親の言うことを聞いて。
――いわゆる「手がかからない子」タイプ。
うさたに 「自分は誰の人生を生きてるんだろう」って思うくらい、周りからなるべく視線を浴びないように生きてきました。家でおとなしくしてる時間が一番楽で、遊びに行ってもおばあちゃん家まで散歩して帰ってくるだけ、みたいな。
ギャルとは真逆の家庭環境、しかしガングロ女子を見て衝撃
――今のうさたにさんからは想像がつかないです。どんなご家庭だったんですか。
うさたに 両親がずっと別居していて、お母さんとお姉ちゃんと3人暮らしでした。お母さんは今はファミリーホームの職員をやってるんですけど前は保育所の先生で、優しすぎて過保護なタイプでしたね。
――ギャルから一番遠い家庭環境ですね。
うさたに GPSで私の居場所をめっちゃ追うぐらい過保護でしたからね(笑)。ただお母さん自身も東京に出たかったけどおばあちゃんに許してもらえなかった経験があって、私たちには「いつか福島を出させてあげたい」って気持ちはあったみたいです。
――ギャルを初めて意識したのはいつ頃でしたか。
うさたに 幼稚園くらいの時には気になってましたね。テレビでガングロ、ルーズソックスの渋谷の女子高生たちを見て、可愛すぎてびっくりしたんです。今で言うプリキュアっていうか、キラキラしてて女の子が好きなものが全部詰まってる感じ。幼稚園の頃から「マンバになりたい」って叫んでたらしいです。
――プリンセスよりもマンバ。
うさたに それぐらいビジュアルのインパクトが強かったんだと思います。ただお姉ちゃんがオタクだったので、その影響で『銀魂』とか『ひぐらしのなく頃に』とかにハマるオタクでしたね。私が中学で学級副委員長に立候補した理由も、委員長の男子が『銀魂』の銀さんの声真似がうまくて「仲良くなれるかも」と思っただけで(笑)。

