まず遠藤周作さんはカルメンの闘牛士の格好で、北杜夫さんはご贔屓阪神タイガースのユニフォーム姿、鉄道マニアの宮脇俊三さんは国鉄の車掌になり、吉行淳之介さんに声をかけたところ、「俺はまあ、吉原の妓夫太郎かな。提灯持って佐和子にぴったり寄り添って、『旦那、いい子でしょ。初見世ですぜ』ってのはどうだい?」
娘の気も知らず、話はどんどん膨らんでいく。こうなったら私とて、「私はウエディングドレス姿で受付に立ち、招待客から見物料を集めます!」と、閉口しているふうを装ってはいたが、心の中では秘かに楽しみにしていた。が、ぐずぐずしているうちに、名乗りをあげてくださった方々は次々お亡くなりになり、最後に残った父自身にも、海軍士官の軍服を着る楽しみを果たさせてやれなかった親不孝な娘である。
家族の知らない父の顔
話が少々ずれたけれど、ことほど左様に世の常識、義理、しきたりを忌み嫌い、晩年はことに、人との付き合い自体を嫌がって、入院した父に会いたいと言ってくださる古い知り合いや親戚に対しても、「お願いだから断ってくれ」と世にも辛そうな顔で首を横に振るので、先方にお断りするのにはずいぶん苦労した。
こんなに世間を敵にまわし、人の好意に背を向けて、寄る年波にますます意固地になった父だから、がっかりなさった方は数知れずと思われるのに、亡くなってみれば、案外の人気であった。
改めまして、父の死を悼んでくださった方々に、この場を借りて積年の不義理、無愛想を心からお詫び申し上げます。
ただしかし、どうやら家族の目の届かないところでは、意外に愛想のいいところもあったようだ。先日、「文藝春秋」で対談をした平岩弓枝さんは「アガワ先生は本当にお優しかったのよ。船酔いして動けなかったとき、『部屋に籠もってないでデッキを歩こう。俺のズボンのベルトにつかまってついてきなさい』って」
そんなこと、娘はしてもらったことありません。石井好子さんは父と一緒に講演旅行をした折、どこか海のそばの岸壁にて、「危ないからって、おたくのお父さんに手をひいてもらって歩いたわ」と報告されたが、娘の私が父と手をつないだ思い出は、5歳以降、皆無に等しい。たまに「肩を揉んであげようか」と言うと、「くすぐったいからやめてくれ」と断られるのが関の山。そのかわりに「背中を掻いてくれ」と頼まれて、ベタベタした父の背中を素手で掻くのに閉口した覚えはある。