日本軍兵士の非人間的行為
後藤田は1914(大正3)年、徳島県で生まれている。1939(昭和14)年に内務省入省、1年ほど勤めたのち徴用され、1940(昭和15)年に二等兵で台湾歩兵第二連隊に入隊した。
陸軍経理学校で学び主計将校として台湾軍司令部に身を置いた。中国戦線から台湾を経由して南方に転属される日本軍兵士が、精神的な荒廃の中で台湾住民に非人間的行為をなすのを目撃する。1945(昭和20)年3月、東京出張の際に東京大空襲を経験し、戦争という大量殺戮の現実に直面した。8月、台北で終戦を迎え、爆竹を鳴らして喜ぶ台湾人の姿を見て、うまく行っているかに思えた日本の皇民化教育への現地の住民たちの内心での反発、異民族支配が彼らに与えた屈辱を知る。1946(昭和21)年4月まで捕虜生活を送り、帰国。6月に内務省に復職した。内務省廃止後、警察官僚に。警察庁長官まで務め、田中角栄政権で内閣官房副長官。衆議院議員となり、大平正芳政権で国家公安委員会委員長、中曽根康弘政権で内閣官房長官など、権力中枢の重職に就く。
戦後の後藤田の来歴からすると、さぞや治安強化や国家主義を強く言挙げしたのだろうと思われがちである。実際に後藤田は、節度をもって社会秩序を維持することの重要性を主張していたのであるが、一方で、戦争の惨禍と愚劣を繰り返してはならないことを自らの存在を賭けるような口調で説いていた。それは、後藤田のあらゆる職歴を超えて、戦争を経験した世代に特徴的な発言であるように思われた。そして私は、秩序の維持という国家の側の発想と、非戦への意志という国民的な願いが併存するバランス感覚が、後藤田独自のものであるように感じたのである。
※本記事の全文(約9000字)は、月刊文藝春秋6月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(保阪正康「後藤田正晴の逡巡〈前編〉」)。 全文では、下記の内容をお読みいただけます。
・「昭和人」とは何者か
・「表の言論」と「裏の言論」
・歴史観をめぐる闘い

