人生をやり直すためのたった一つの希望
唐 原作でも彼女の犠牲のおかげで実家の家計が潤い、兄弟が大学へ行けたという背景は語られますが、映画ではさらに視覚的に、より残酷に描かれています。帰ってきた白梅に対して、お兄さんやそのお嫁さんは、彼女と同じ空間に座ることすら嫌がり、赤ちゃんを触らせることも拒んで、さっさと荷物をまとめて出て行ってしまいます。
映画がここまで家族の利己的な差別をはっきりと描いたことで、白梅がどれほど深い孤独の中にいたのか、そしてなぜ彼女が「自分の子ども」という無条件の家族を求め、実家ではなく「自分自身の本当の家」を築こうとしたのかが、観客により強く伝わる構造になっています。
リム 彼女はかつての妹分が母となり幸せに暮らす姿を見て、「自分も子どもを産んで母になる」と決意します。当時の台湾社会において、未婚の女性が子どもを産んで母になるということは、どれほど大きな意味、あるいは困難があったのでしょうか。
唐 小説が発表された1967年当時、未婚の母に対して向けられる視線は非常に厳しいものがあったと思います。劇中でも、実の母親が彼女の身を激しく心配する描写がありました。しかし、白梅にとっては、自分の子どもを持つことこそが、人生をやり直すためのたった一つの希望だったのです。そこからの彼女は主体性を持って、どんどん行動していきます。
台湾の運命そのもの
リム 映画のラストについてですが、彼女は無事に男の子を出産した後、かつて自分が働いていた港町(漁村)へ再び戻り、子どもの父親である男に会いに行こうと列車に乗るところで物語は終わります。実家の村の人々があれほど優しく迎えてくれたのだから、そのまま村でみんなで育てれば十分に幸せになれるはずなのに、なぜわざわざ過去の場所に、男を頼るかのように戻るのか。ここが少し議論の分かれるところだと思いますが、先生はどう捉えていますか?
