『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞、『等伯』で直木賞を受賞し、名実ともに戦国歴史小説の第一人者である安部龍太郎さん。2023年1月から「北国新聞」「富山新聞」で連載がスタートした『銀嶺のかなた』が第3巻『みやびの楯』編刊行をもってついに完結した。

 加賀前田家三代――利家、利長、利常とつながる壮大な物語には、現在放送中の大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも利家が印象的に登場し、東京国立博物館で開催の『百万石!加賀前田家』の来場者が十万人を突破するなど、改めて注目が集まっている。

 2024年元日に発生した能登半島大地震で甚大な被害を受けた、地元の人々へのエールがこめられた本作連載の舞台裏から、前田家の知られざる歴史、そして加賀百万石という郷土の誇りについて――著者の安部さんが熱く語った。(全2回の2回目/最初から読む

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安部龍太郎『銀嶺のかなた(三)みやびの楯』

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秀忠・家光の「汚い手」と、前田家の生き残り戦略

――家康から120万石という圧倒的な領地を与えられた加賀前田家ですが、その跡をついで将軍となった秀忠、家光は、何かと外様である前田家に対して疑念を持つようになっていきます。それでも前田家が江戸時代を通じて百万石を守り抜けた理由はどこにあるのでしょうか。

安部:秀忠、家光の時代には熊本の加藤家が潰され、家光の弟である駿河大納言(徳川忠長)は切腹、福島正則も改易させられるなどして、多くの家が潰されます。また大阪の陣の前には、旧豊臣系の浅野幸長、池田輝政、加藤清正といった人たちが次々に死んでいきました。

 彼らはいずれも原因不明の卒中や梅毒で突然死したとされていますが、絶対、裏には何かあるだろうとずっと気になっていました。単純に考えやすいのは、徳川家の忍びによる暗殺ですが、僕は家康はそういう手を使う男じゃないと思っています。では家康でなければ、誰になるかといえば秀忠です。

 秀忠と家光には表の顔と裏の顔があります。たとえば秀忠の娘である和子を後水尾天皇の女御として入内させ、外戚の地位を得ようとするあまり、ほかの天皇の妃たちが妊娠したときに、人知れずそれを葬ろうとしていたことも歴史的事実で、権力を維持するためにそういう手段を使う人物だったことは間違いない。徳川政権の絶対安泰をゆるぎないものにすべく、予防措置として旧豊臣系の大名たちも密かに粛清したのでしょう。

 秀忠が強硬に旧反対勢力を潰していく中で、その汚い手段の標的に利長もなってしまった。だから、それを目の当りにした利常としては、幕府とは一線を画す――「協力はするけど屈服はしない」という方針をずっと貫いたはずです。それこそが、富山藩と大聖寺藩という支藩も含め、加賀前田家が120万石の大藩として生き残れた大きな理由だと思います。

前田家藩主代々の陣羽織がずらりと並ぶ「百万石!加賀前田家」の展示

――その戦略の一環として朝廷との縁組を、前田家は積極的に行ったわけですね。

安部:そうです。利常の娘の富を八条宮智忠親王に嫁がせているし、筆頭家老の本多家からも朝廷との縁組をした例があります。藩主と筆頭家老がそろって朝廷と縁組していることで、幕府側にべったりにならないという生き残り戦略をしっかり立てていたんだと思います。それがある意味「みやびの楯」――前田家と天皇家がお互いに協力することで、幕府から手を出されないようにしようという戦略がうまく完成したということでしょうか。