利長・利常が手がけた産業振興と「国づくり」の実像

――朝廷との結びつきを強くする一方、利長・利常は加賀国の産業振興にも随分力を入れていた藩主です。

安部:最初に手をつけたのは利長で、有力豪農や帰農した郷士たちにそれぞれ村を管理させる「十村制」というものを作り、年貢の徴収や一揆の防止だけでなく、農地改良や不作時の対策も試みましたし、金山の開発も最初は利長が手掛けたものを、利常がうまく引き継いで発展させていきました。

 さらに京都・大阪という大消費地にどう物を売るかということも考え、名産のお酒も「菊酒」と称して販路を京都に狙いを定めます。朝廷と縁組をしている立場から、桂離宮などの造営資金を調達するだけでなく、京都の一流の職人さんたちの技術を、前田家の職人を手伝いに行かせることで習得させて、それを加賀にも持ち帰った。そのことによって京都の職人のように、京都・大阪をはじめ、全国で売れる工芸品や美術品を作れるようになった。これも百万石の藩の営業戦略としてきちんとやったわけですね。

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――今でも石川県・金沢を訪れると、加賀前田家の影響を感じるとおっしゃっていましたね。

安部:石川県の県庁とか市役所に行って役所の人たちと話していると、いい意味で、まだ江戸時代が生きているんじゃないかという印象を受けることがあります。階層社会の中で自分が果たすべき役割、いわば武士道が生きているといいますか、加賀前田家の統治体制みたいなものがまだ生きているなと感じます。

 具体的には街の中に高速道路を引き込むようなことをせず、街並みもそれほど変わらず美しい。そしてみんなが加賀前田家に対する自信と尊敬みたいなものを持ち続けている。日本中の県庁所在地に行っても、案外そんなふうには感じないんですよ。

 例えば僕の出身地である福岡では、黒田藩といったって誰もそんなに身近には感じていないし、「黒田藩のおかげで!」なんていうようなことはほとんど誰も言わない。ところが石川県では結構そういうふうに思われているのは、領民にとってもいい統治がなされていたからでしょう。

 やっぱりね、ふるさとの歴史に対する誇りと自信を持つことは、自分の生き方に誇りと自信を持つことにつながってきます。苦しい局面に直面して乗り切ろうとするとき、利長も利常も、あるいは光高も綱紀も、こういう苦しみを乗り切ってきたんだと思うことができれば、自分に対する自信が生まれてくると思うんです。

 国の歴史を教科書で習うと他人事になりがちだけれど、郷土史は自分の先祖が関わっているから自分事になっていく。そういうまなざしを持つことは、これから地方創生を考える上で非常に重要になってくる――「なぜ地方は創生しなくてはならないのか」「何に基づいて創生したらいいのか」。そのとき地方の風土と歴史に対してしっかりした認識を持っていることが大切だと思いますね。