「まさか三笠宮家でこのようなことになるとは、思いもよらないことで残念です。いつもは取材をお受けしないのですが、今回ばかりは事実が正確に伝わっていないように思いましたので」
寬仁さまの姉、近衞甯子(やすこ)さんだ。静かな話しぶりだが悲憤がのぞく。
実は、決定に至る過程で、結婚して三笠宮家を離れた近衞さんも、妹の千容子(せんまさこ)さんとともにこの分裂劇に巻き込まれている。詳細は後述するが、三笠宮家の中で話し合うことなど不可能なほど深刻な溝が残ったままであり、宮内庁が公にした今回の決定には違和感があったようだ。
そもそもこの異常事態は、今に始まったことではない。
「ヒゲの殿下」と麻生家の縁談
三笠宮家の分裂を理解するには、寬仁さまの生前からのファミリーヒストリーを遡らねばならない。
寬仁さまは1946年1月、大正天皇の第四男子である三笠宮崇仁(たかひと)親王と百合子妃の第一男子として誕生した。父の三笠宮さまは軍人から戦後に古代オリエント史の研究者へと転じ、皇室で初めて一般家庭と同じように親子一緒に暮らした。
学習院高等科時代には早くも、「ヒゲの殿下」として終生のトレードマークとなる髭を蓄えるようになり、酒やタバコも愛飲していたと自身で明かしている。1968年に学習院大学を卒業した寬仁さまは、同年4月から2年半にわたり、英オックスフォード大学に留学した。
留学を機に関係が深まったのが、やがて姻戚となる麻生家だ。
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この続きでは、「寬仁さまと信子さまが別居するまでの経緯」「月10万円しか渡されていなかった信子さま」「16億円超に上る改修費」など、三笠宮家分裂の内幕をとことん深掘りしている。
約1万2000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されている(秋山千佳&本誌取材班「彬子女王と母信子妃 決裂の瞬間 三笠宮家分裂の凄まじい内幕」)。


