自民党は「お子様ランチの旗は対象外」と修正
記事でのハイライトはお子様ランチだった。小さな国旗を扱う卸問屋の話が載っていた。店主は「旗の使用をやめるレストランも出てくるだろう」と懸念していた。
お子様ランチまで? そう思ってしまう。しかし忙しい店員が、片づけの途中で小さな日の丸をくしゃっと丸めてしまったらどうなるのか。誰も本気で「罰則だ」とは思わないだろう。だが、そういう想像を店側にさせてしまう。「国旗を守る法律」が、かえって国旗を日常から遠ざけることはないのか。
すると記事の2日後の22日、自民党は「お子様ランチの旗は対象外」と修正して説明した。なるほど、そこはセーフらしい。だが「これは大丈夫」と政治家がいちいち説明している時点で、すでに「どんな表現なら許されるのか」という線引きの話になっている。これは、かなり怖い話ではないか。
ここまで書いていて、別のことも気になってきた。
国旗への侮辱というなら、物理的な損壊だけなのだろうか。ヘイトスピーチの現場で、日本国旗が振られる光景がある。「出ていけ」といった言葉と一緒に掲げられる日の丸は、国旗の尊厳を高めているのか。それとも傷つけているのか。
さらに言えば、今回の議論は単に「国旗損壊罪」の是非だけの話なのだろうか。むしろ見えてくるのは、高市政権の政治スタイルそのものにも思える。高市政権の特徴のひとつは、理屈より“感情に届く言葉”を優先することだ。
たとえば台湾有事をめぐる一連の発言だ。歴代政権は、あえて曖昧にすることを外交の技術としてきた。ところが高市首相は、かなり踏み込んだ物言いをしてきた。歴代首相の感覚なら「そんなに具体的に言って大丈夫か」という話になる。だが世論では「はっきり言ってくれて頼もしい」という反応も少なくない。理屈より感情。複雑な現実より、わかりやすい言葉。
そう考えると、今回の国旗損壊罪も同じ構図に見えてくる。「法律論としては弱い」と言われても、「外国の旗はダメなのに、日本の旗はいいの?」と言われれば、たしかにわかりやすく、支持も集まりやすい。
問題は、その“わかりやすさ”で法律を作っていいのか、ということだ。「そうだよな」と感じることと、「だから刑罰をつくろう」は同じだとは思えない。感情のわかりやすさで複雑な問題を突破していく。そんな政治手法そのものも、注意して見ておきたい。
