1歳でユーイング肉腫と診断され、肋骨を2本摘出。3歳・5歳と再発を繰り返しながら、「世界で2番目にきつい」と医師が評した抗癌剤と生涯上限の放射線治療を乗り越えた愛迷みんみんさん。医師から「20代後半で亡くなる人も多い」と告げられながらも、30歳で無事に第一子を出産した彼女が、知られざる幼少期のリアルと出産への思いを語った。

現在の愛迷みんみんさん

血相を変えた母親

 愛迷さんが自身の病状の深刻さを知ったのは、意外にも小学3年生のころだった。当時ダジャレに夢中だった愛迷さんが「がんになった人はがーん!」と口にした途端、母親が血相を変えたという。「そんなことを言ってはいけない!」と叱られ、そこで初めて自分の身体に起きていたことを説明されたのだ。

 それまで母親は、病室でも決して弱さを見せなかった。母がいつも明るく振る舞ってくれたから、自分が生死をさまよう病気だとは知らずに育った。だが大人になって知ったのは、母が毎晩、愛迷さんが寝静まったあとに「声を殺して泣いていた」という事実だった。「そのときの母の気持ちを思うと胸が締め付けられる」と愛迷さんは語る。

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幼い頃から抗がん剤の投与を受けてきた

 放射線治療の後遺症は、思春期に別の苦しみをもたらした。左胸への照射によって身体の左半分が成長せず、バストのサイズが左右で大きく異なる状態に。修学旅行の大浴場に行けず、中学では無視や靴隠しといったいじめにも遭い、自傷行為に及んだこともあった。「生きているのがつらい」と感じた時期を経て、やがて傷跡を「自分が生き抜いた証」と思えるようになるまでには、長い時間が必要だった。

第一子を出産した愛迷みんみんさん

 そして30歳で迎えた出産。これは彼女にとって単なる慶事ではない。「生命を繋いでいただいて、ありがとうございました」——幼い頃に命を救ってくれた医師たちへそう伝えることが、いつしか夢になっていたからだ。産後は心不全が悪化し、左腕が上がらず我が子を抱っこすることすら困難を極めるも、「強運を持った自分だから大丈夫」と前を向く。

最初から記事を読む 1歳で抗がん剤を投与されて髪の毛は全部抜け、肋骨は2本摘出、小学3年生時には母が血相を変えて…「世界で2番目にきつい抗がん剤」の投与まで経験した女性が忘れられない“幼少期の一番印象深い記憶”

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